自身に課してるNGワード

自分の中のNGワード

変なこだわりだなって自分でも思います。
なので、他人様には言えないのだけど、私自身に課しているNGワードというのがあります。

”がんばります”、”お疲れ様”、”ご苦労様”は使わないようにしています。

会話においてこれらの言葉を使うのを極力避けるようにしています。

社員の皆さんにもご自分が使われるのは自由だけど、できるだけ私に対しては使わないでねってお願いしています。だけど、これは思う以上に大変ですよ。この三つの言葉は会話における潤滑油のようなもので、挨拶とほぼ同義ですから、日本人からこれらを奪うと、相手に失礼な印象を与えるのではないかとなるので、非常に難しいです。営業の人間にとっては致命的だったりします。
だけど、だからこそ、やってみると面白いです。便利なものを使えないとなると人はそれ以上に工夫しますから。

ちょっと周りを見渡してください。この三つを安易に使っている人が実に多いことに気づかれると思います。そして、すぐにそういう人はふだん使っている言葉も安易なことに気づかれることでしょう。言葉はその人の思想の現れですから、思想も安易だということになり、その人自身が安易だということになります。

こんなこと言って、言葉狩りをしようというのではモチロンありません。ことば狩りは思想狩りと同義ですからね。ただ、不自由っていうのもたまには良いもんだよという程度です、はい。

”頑張ります”
私は人生において頑張るのは当然だと思ってます。それを敢えて頑張りますというのはどうなのかという考えです。
他人に対しても使いません。
それは、その人は当然のように頑張っているに違いないので、そんな頑張っている人に、”頑張ってください”というのは失礼だと思うからです。

”ご苦労様”
苦労はした方が良いです。
昔から、苦労は買ってでもせよと言います。
苦労するからこそ、そこにイノベーションが生まれます。
安逸な生活や態度には向上の余地がありません。
人々の幸福はその人の苦労とその後のイノベーションによってもたらされます。

”お疲れ様”
疲れてません。社長が疲れたら会社として終わりだと思います。
また、実際に疲れてません。
先日のことです。
私は私用があり自宅にいて、午前中ベッドで寝ながらテレビを見ていました。
そしたら、会社から電話があり、”お疲れ様、**です。今、お電話ちょっとよろしいでしょうか……。”
と。
**君、私は全く疲れてないです。それどころかベッドで横になってスマホいじってます。疲れているのは会社で仕事しているあなたです。状況的に正しくないです。屁理屈じゃないんです、疲れてないのに疲れているんですねとねぎらいの言葉を掛けられるとこれは皮肉なのかなと思ってしまうのです。
疲れていない人に、”お疲れ様”は非常に危ないと思っています。それに、「疲れ」のは「憑かれ」だとも言うようだし、あまり気持ちの良いことばでもないですね。

私は、生きている間には一生懸命働いて、一所懸命生きて、そして寿命が来て棺桶に入ったときに、それを囲んでくれた人がその時に、”きのわきさん、よく頑張りましたね、ご苦労さまです、ゆっくりお休みください、でした。”
そう言われる人間になりたくて生きてます。それまでその言葉は大事に大事にとっておきたいのです。

ちょーーっと格好つけすぎですね。

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