
ご先祖さまとの対話。
「ご先祖さまとの対話」こんなこと書くと他人さまからはなんだかなーって思われるだろうことは想像しています。ただ、僕は困った時には答えのない時には自ずとそうします。今自分という人間がこことにある不思議さってあるわけですけど、これは皆さんも同様だと思うんんですけどそんなのには答えはないですね。ただ、言えることはご先祖さんがいたからこそ私はここにいるというじじつだけです。では、なぜここにいるの?
わかんないです。不思議としか言いようがないです。
二年前に、Purpose ≠ Missionって今ごろ気づいた。という記事を書いた。パーパスは存在意義、つまりなぜ存在するのかという問いのほうだ、という話だ。書いたきりにしていたが、その問いは消えずに残っていた。多分答えなんてないのでただ考え続ける。
答えが出るような問いではない。それでも考え続けていた。
そこへ、お盆が来た。
日本では八月の十三日から十六日にかけて、多くの地域でお盆がある。亡くなったご先祖さんが帰ってきて、その人たちと対話する期間だ。私も墓参りをして、ご先祖さんと話をしてきた。
会社のことを話した。ずっと考えていたことだから、自然にその話になった。
そのとき、ふと出てきたのが三つの文字だった。
D、A、I。
Dは Diversity、Aは Altruism、Iは Inclusion。多様性と、利他と、包摂。
考えていたことに名前がついた、という感じがした。
そして思い出した。十二年前、社名を変えるときのことだ。
私たちの会社は、株式会社大出版社という社名だった。それを2014年4月1日に、株式会社Daiに変えた(新社名>株式会社Dai)。
あのとき、実はもう一つ案が出ていた。全部大文字で「DAI」と書く案だ。読み方も「ダイ」ではなく「ディーエイアイ」にしてはどうか、と。
採らなかった。理由ははっきりしている。あのとき私たちは、意味のことを考えていなかったのだ。大出版社の「ダイ」という音を残したかった。ただそれだけだった。音の響きを踏襲しただけで、そこに何を込めるかという話は、一度も出なかったように思う。
十二年前に出て、消えた案が、そのまま戻ってきたことになる。足りなかったのは文字ではなく、意味のほうだった。
意味は、あとからついてくる。
そう口に出したとき、自分で「あれ」と思った。これ、フランスの三色旗に似ていないか。自由、平等、博愛。三つの理念を三つのものに託すという、あのやり方に。
気になって調べてみた。そうしたら、予想に反してまったく違う話が出てきた。
青は自由ではなかったのだ。
青と赤はパリ市の色で、白はブルボン家の白百合の色。それが三色旗の由来だという。「青は自由、白は平等、赤は友愛を表す」という説明は俗説で、フランス憲法にはそんな対応は書かれていない。どうやら日本でこの説が広まったのは、戦前の国定教科書がそう教えたかららしい。学校で習った気がするあの話は、フランスの話ではなく、日本の話だったということになる。
がっかりしたかというと、逆です。
意味なんていつでも後付けやーんって自分でも思うからです。人間って意味をつけたがるのよね。
旗が先にあったのだ。パリ市の青と赤があって、王家の白があって、それが一本の棒に並んだ。意味は後からついてきた。二百年以上かけて、人がその色を見上げながら、そこに自由を注ぎ込んだ。青は自由「だった」のではなく、自由に「なった」。
それなら、十二年前に音だけを選んだのも、間違いではなかったのだと思う。
あのときDAIと大文字にしていたら、意味のない三文字が十二年間ただ立っていただけだ。旗は先に立てられるものだが、立てた者が意味を注がなければ、ただの布のままで終わる。
三つの文字は、すでにそこにあった。
では、何を注ぐのか。
Daiという社名の由来は、マハヤーナだ。サンスクリットで大乗。大きな乗り物という意味になる。このことは社名を変えた年に、言い訳と嘘と。という記事で書いている。
大きな乗り物というのは、要するに、誰も置いていかない乗り物のことだ。小さな舟なら選ばれた者しか乗れないが、大きな乗り物には全員が乗れる。
三色旗の白のことを、もう一度思う。あれは、戦っていた相手を旗に入れるために足された色だった。大きな乗り物というのも、たぶん同じ話だ。
Diversity のほうも、名づけたときにはもう入っていた。
完全リモートに移ったとき、私たちはこの働き方をコーラルワークと名づけた(私たちの新しい働き方、Coral Work。)。サンゴ礁は全海洋のたった〇・二パーセントしかないのに、海の生き物の四分の一から三分の一がそこに住んでいる。生物多様性の豊かな海域だ。
理由が面白い。サンゴ礁は形が複雑で、隙間だらけなのだ。雑で、空間がいっぱいある。だから小さな生き物の隠れ場所になる。あの記事には、そう書いた。
私たちの働き方も、たぶん同じだ。
メンバーは北海道から沖縄までいる。朝、PCを起ち上げてアサカイに入ると、北海道から、沖縄から、京都から、みんなが同じ時間に仕事を始めている(無・眼・耳・鼻・舌・身・意。)。
そして、東京や京都の近郊に住んでいる人がいない。これは偶然ではないと思っている。
会社に通える場所に住まなくていいということは、生まれた土地に残っていい、帰っていい、ということだ。その人がそこにいることで、その土地に仕事と暮らしがひとつ残る。
地方を守るというのは、たぶんそういう小さなことの積み重ねだ。そしてそれ自体がダイバーシティなのだと思う。均一な場所に全員を集めるのをやめる、というだけの話ではあるのだけれど。
外国籍の方も何人か働いてくださっている。日本語はみんな達者で、通訳が要るような場面はもうない(言葉こそ文化 ー Japanese Language Proficiency Test.)。
ただ、言葉が通じることと、同じものが見えていることは別だ。長く外国で育った人は、根っこにある文化の捉え方が違う。同じ日本語で話していても、その言葉の手前にある前提が違っている。
そこは埋めなくていいと思っている。埋めてしまったら、ただ人数が増えるだけだ。違う捉え方がそのまま残っているから、こちらの当たり前が一度止まる。
いろいろな人がいる、というだけなら、まだ Diversity どまりだ。その人たちが違ったまま同じ乗り物に乗れて、同じ時間に同じ会議を始められて、はじめて Inclusion になる。揃えることではない。
八年前に組織図を書いたときのことも思い出した(組織図・経営理念・ミッション・事業理念)。
あのとき私は「社名に込めた Dai の文字のもとに」と前置きして、三つ並べている。大きな心で事業に挑み、大きな誠でお客さまを大切にし、大きな力で社会の役にたつ。
三つだった。あのときも、三つだったのだ。
しかも同じ記事の書き出しに、こう書いている。会社は何のために存在しているか。それは疑いもなく、会社は社会のために存在している、と。
八年前に一度答えを出していて、それをすっかり忘れて、今年またゼロから考えていたことになる。我ながら情けない。ただ、忘れたからこそもう一度たどり着けたのだとも思う。
そういえば、お盆そのものが仏教の行事だった。
盂蘭盆経という経典に、目連という弟子の話が出てくる。亡くなった母親が餓鬼道に落ちているのを見つけ、水や食べ物を差し出すのだが、母の口に入る直前に炎に変わってしまう。どうすればいいかと釈尊に尋ねると、修行僧たち全員に食べ物を施しなさいと言われる。そのとおりにすると、僧たちの喜びが餓鬼道まで届いて、母は救われた。
自分の母ひとりを救おうとしたら救えなくて、全員に施したら救えた、という話だ。
私はこのブログで以前、究極の自己中心主義。という記事に、ジャック・アタリの「利他主義は究極の自己中心主義だ」という言葉を書いた。目連の話は、それをはるか昔にやっている。
墓の前であの三文字が出てきたのは、偶然ではなかったのかもしれない。お盆というのは、もともとそういう日だった。
三つの文字のうち、Altruism だけは出どころがはっきりしている。今回ひねり出した言葉ではない。
私は盛和塾の塾生だった。稲盛和夫さんが始めた経営者の勉強会で、京都にも塾があった。二〇一九年の末に解散している。
最後の世界大会のことは5000人×幸せに書いた。塾の教えの根本は利他であり、具体的には全従業員の物心の幸福追求であり、社会への貢献だと、あのとき私は書いている。動機善なりや、私心なかりしか。塾で繰り返し問われたのは、そういうことだった。
稲盛さんが亡くなったのは、二〇二二年の八月二十四日だった。お盆を過ぎて少ししたころだ。墓の前でAという文字が出てきたのは、そのせいもあったかもしれない。
だから Altruism は、新しく足した言葉ではない。ずっと持っていた言葉に、アルファベットの服を着せただけだ。
言葉そのものの来歴も、少し書いておきたい。
これはオーギュスト・コントというフランスの社会学者が十九世紀に造った新語で、altruisme と綴る。語源はイタリア語の altrui、さらに遡るとラテン語の alter、「他の」「もう一方の」という意味になる。alternative と同じ根っこだ。
他者がいるということは、もう一つの道があるということでもある。自分ひとりなら、道は一本しかない。
アタリもフランス人だった。フランス語から生まれた Altruism が、フランスの旗の話に戻ってくる。偶然だが、悪くない偶然だと思う。
三つとも、最初からそこにあった。Altruism は Dai という社名の中に、Diversity はコーラルワークという名前の中に。大文字にするというのは、新しい意味を足す作業ではない。もともと乗っていたものに、もう一度名前をつけ直す作業なのだと思う。
なぜ Equity ではなく Altruism なのか。
ひとつ、断っておきたいことがある。
世の中で言われるのは Diversity, Equity, Inclusion で、真ん中は Equity、公平だ。私はそこを Altruism に替えた。Equity を軽んじたいわけではない。むしろ逆で、公平というのは制度をつくれば手に入るものではないと思っているからだ。
給料も再分配だと私は考えている。原資は社員が働いて生み出したもので、会社はそれを分け直しているにすぎない。分け方の設計は制度の仕事だが、その制度を動かし続けるのは、結局のところ人の動機のほうだ。
Equity は目的地で、Altruism はエンジンなのだと思う。エンジンのほうを社名に書いておきたい。
「ダイ」と読めば、大乗が聞こえる。「ディーエイアイ」と読めば、三つの言葉が聞こえる。どちらで読んでも、言っていることは同じだ。大きな乗り物に、誰も置いていかずに乗る、という話でしかない。
株式会社DAIにしたところで、明日から何かが変わるわけではない。青がすぐに自由にならなかったのと同じだ。
会社は何のために存在するのか。この問いに、三文字で答えが出たとは思っていない。八年前の自分はもっと短く答えていた。社会のためだ、と。今回の三文字は、その答えをもう少しだけ具体的に言い直したものなのだと思う。
いつか私がご先祖さんの側にまわって、誰かが墓の前で会社の話をしてくれるとしてそう仮定したとして。そのとき「DAIって何の略でしたっけ」と言われたら、さすがに困る。
そうならないように、今年のうちに書いておくことにしたのでした。
