自己紹介

みなさま、こんにちは。
木脇和政(これでキノワキと読ませます木下さんと同じ原理ですがそれが働いた場面は見たことがありません)そういった切ない理由とは一切関係なく……。

社内では、時として社外でもシュワッチと自らは名乗っていますがあまりそう呼んでくれる人はいません。
私としては役職名では呼ばれたくも呼びたくもありません理由はご推察の通りです。
かと言ってファミリーネームは個人に向かっているのに家があるのは重すぎます、かといってギブンネームはその人にとってその人のことを何よりも大切に思う人が与えてくれたものでしょうから、他人の私が軽々しく呼ぶのは憚(はばか)られます。
なので消極的理由になってしまいますがニックネームがいいなと思ってるんですが、あまりこの考えは浸透しません、消極的だからかもしれないですね。

大学は高野山大学。文学研究科仏教学専攻です。
精神世界に対する憧れが元々あったんでしょうね、迷い込んだ冬の高野山の何とも言えない美しさに魅了されこんなところに大学があるのかと驚いてその場で入学を決めました。
しかし大学生活も2年も経つと、20歳を目前にこのまま日本にいていいのかと旅に出ました。まずは仏教発祥の地インド、だけどビザの不手際ですぐに隣国パキスタンへの出国を余儀なくされました。印パ紛争真っ盛りだったのにそんなことも知らずに徒歩で国境を越えてました。今考えるとかなりやばいですがインターネットも地球の歩き方みたいな本もなかった時代です。
しばらくはインドのビザは取れそうになかったですから再入国も難しく、当時は円の相場が固定から変動に移行した直後だったのでおそらく1ドル300円ぐらいでとても金銭的には厳しい旅でした。当時は日本人は観光ビザがそんなに長期間取れませんでしたから、それからは玉突のように西へ西へと移動せざるをえず、何の目的もないままに高校の地理の授業で使った地図帳を片手にパキスタンから隣国アフガニスタン、アフガニスタンから隣国イラン、トルコ、ギリシャ、ユーゴスラビア当時はチトーが治める今のバルカン半島とかとは全く違う世界がそこにはありました。
最終的にはドーバー海峡を渡って英国にたどり着きしばらくはそこにとどまるわけですが、当時は今のウィリアム王子、フィリップ王子の母となるレディダイアナとチャールズ皇太子の婚約発表がされ英国中がなんだか沸き立ってるようなそんな雰囲気だったように思い出します。
帰国してからは、退学届が友人の機転なのかお節介なのか休学届けに変えられていたので残りの学年を過ごし、卒業にたどり着けましたが、一度こーゆー放浪みたいなことをすると、もともとそういうのがあったんでしょうけど癖になっちゃってなかなかフリーターの生活を抜け出ることができませんでした。そんな中、もともと活字が好きだったこともあり出版事業を見よう見まねで始めて、今に至ります。今は私たちの会社はITを使った二つの事業をやっているわけですが、出版事業からITサービス業へ移行し今があるのは出版そのものを創業の地京都でも割りと早くDTP化を行いデジタル化への移行がスムーズだったことによると思います。

経営者としての転機は、盛和塾に出会い多くの学びを得ることができたこと、これに尽きます。
正面切って「動機善なりや、私心なかりしか」と問われて、そんなんありませんわなんて答えられる経営者がどれだけいるでしょう、結構苦しみます。
もともとそんな高邁な思想をもって事業を始めたわけではありません。極端な言い方をすると好きな活字でただ食っていくためにやっていたようなところがありましたから。
しかし、盛和塾に出会うことによって、何のために仕事をするのか何のために会社は存在するのか、答えはありませんがそこに対する問いを常に持ち続けることの大切さを学びました。
今は塾長の稲盛和夫氏が高齢になられたことで閉塾しましたが、盛和塾は自分自身に生きがいすら与えてくれた大きな存在でした。

この会社が今も成長を続けていられるのは、私たちの会社をここまでにしてくれた社員のみなさんと、この塾での学びがあったこと、これに尽きると思っています。

めっちゃい良い会社ですよ、株式会社Dai

令和4年6月8日 シュワッチ!

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