語彙力こそが教養
少し前に、書店に平積みになっていたし、齋藤孝先生の本だから買っておこうと思って購入し、そのまま例によって積ん読状態になっていた「語彙力こそが教養である」。
会社の中で、語彙力に悩む新人の方がいたので、この本のことを思いだし、本棚からとりだしてきました。
まー、そうだろうなと思います。齋藤先生の本は奇をてらったアクロバティックなものは一つもありません。古典中心主義、良いものは良いというそれだけだし、文体も極めて平明なので、まーそうなのねという感じで読み終わります。
気になったのが「語彙力こそが教養である」と言っている語彙力の方のノウハウを分かるのだけど、では、何が教養なのか、教養とは何かについては全く触れられていない点でした。
これは、困ります。それがなければ単に語彙力が増えて、その使い方が上手になるってだけの話しです。教養の定義がなければ、教養を掴んだことにはならないです。タイトルに教養という活字を並べ、読者の教養力渇望意識に取り入ったかのような出版社の下心を感じてしまいます。
ま、良いか。そこまでは齋藤孝に読者も求めていないだろうし。
齋藤孝の真骨頂は整頓された分かりやすさにあります。
そこで整頓されていた表現には感心しました。
語彙力を伸ばすための一つの方法として、「ステップ2・NGワードを封印する」というのがありました。
自分が普段から何気なくいつも使っている表現をピックアップし、それを意識して使わないようにしようというものです。
例に挙げていたのは、「まじ」「なるほど」「たしかに」といったリアクション的言葉。「すごい」「すてき」「やばい」というような包括的表現は要注意として、なるだけそれらの言葉に封印をし、別のことばに言い換えるようにしようというものです。
ここは納得です。
大体において、語彙力の乏しい方の口から出てくるのが、この類いのことば達です。別のことばで表現してご覧と言うと彼らは途端に窮するでしょう。そして、窮すれば通ず、その時に新しい語彙を獲得するのだという理屈は納得だし、その説明が、先生お上手です。
で、僕が取り上げてほしかったのは、いつものように「お疲れさま」「ご苦労さま」です。この二つを検索すると、どっちが上司に使えて、どっちが使えないとかっていう敬語表現の話しになっています。
つまり、日本人がかなり多用している”便利なことば”なわけですね。齋藤先生、ぜひこの二つを次の改訂版では入れてくださるよう要望致します。
そして、教養の定義もね。
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