人は誰を信頼し何を信用するんだろう。

「まちクリーンin那覇」という集まりだそうです。毎月第一日曜日に国際通りの清掃活動をし、
その後皆さんで一杯のアイスコーヒーを飲むのだとか。
”アイス”というのがっぽいし、なんたってこの青空が沖縄ですね。
ここでは人を信頼するのに何も必要ないのでは。

の激震は続く。

の激震が続いているように思います。
私たちの会社では毎朝日本経済新聞の記事を一つピックアップしてみんなでそのことについて話をしますが、そのにChatGPTや生成AIの記事が出ない日はありません。
私自身も2ヶ月ほど前にこのChatGPTを触ったときには身体中に激震が走りました。今までに見たこともないものが現れ、感じたことのない感覚が走りました。
それまでは、人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」でディレクタなどを務めていた新井紀子さんの”AI vs 教科書が読めない子どもたち”などを読みながら、AIが言語を理解するなんてコトはないんだとタカをくくっていました。今でもChatGPTは”理解”をしているわけではないと思います。最近3.5から4.0にバージョンアップされたので早速以前もやったように私たちの会社の入社試験を解かせてみましたが全くウソだらけのこたえでした。しかし、しかしその振る舞い方がいかにも理解しているようであたかもそこに人格が存在しているかのようなのです。
ウソを見抜けなければそれは真実になります。
この振る舞いがある日突然起きてしまった。なぜ起きたのかの理屈はいろいろあるようでそれがLLM(大規模言語モデル)の研究成果でもあったのでしょう。
ただ、突然すぎる。

今までもAIブームは何度か訪れその度に少しずつ進化は感じられていましたが、それが一気に何かを飛び越えて生身の人間と会話しているかのような感覚になってきました。また、こういった会話型AIだけでなく画像生成AIなどもよりリアルなものに肌感覚や肌や肌の質感のようなものがより生物に近いようなものが出来上がるようになってきました。マルチモーダルAIも現実のものになってきていて人間がその五感で感じ言葉を発するようなプロセスをAIも踏襲いくかのようです。
ウソを見抜けなければそれは真実になります。

AIの無邪気な恩恵。

ただ、この進化は私自身はなんだかワクワクするんです。子どもの頃に見たSF的なものではなく、現実的なこととしてこれによってより人間が人間らしいものになっていくのではないか。
今の世の中はつまらないことに満ち満ちているように思います。ほんとにそれを人がやらなければいけないのかというようなもの、また、どうでもいいような知識を振りかざす人がいまだにいるわけですが、実際そんな知識はどうでも良くて知識を使ってどうするかが問題なのに、その後も多くの望月さんに出会っています。

ChatGPTのようなものの出現で、私たちは本当に人間がやらなければいけないようなことに向き合っていけるんじゃないか。だけどこれも諸刃の剣であることは誰しもがChatGPTと会話しながら感じていたはずです。

イタリアの大人さ加減。

今朝の日経の記事、イタリア政府も同じようなことを感じていたようですね。ChatGPTの利用を一時的に禁止するとイタリア政府の発表がありました。”利用者に適切な通知がないまま情報を収集している。利用者の年齢確認も不十分”とのこと。
確かにこの懸念はありますね。

EUは今までもプライバシーの問題でGoogleマップ掲載を拒否したり、忘れられる権利というような新しい概念を生み出したり、どうにも大人な国です。便利さや合理性を少し疑ってくれるようです。アメリカ人のような無邪気さに懸念を示してくれるのはいつもEUだったりします。それはきっと彼らの長い歴史と多様性からくるものでしょう。
ー 日本人に関してもその点ではアメリカ的無邪気さがあるんですが、一方で日本には歴史もあるのになぜそうも無邪気なんかというとやはり個が独立していないせいではと思います。

このままAIが進歩していけばそこに待っているのは、明るいユートピアなのかそれとも暗いディストピアなのか。イタリア政府は一時的にせよディストピアとなることを危惧したのでしょう。

AIが作り出すものがもう人間の能力では区別がつかず、しかもそれが大量に生産される世界。本当ととの違いがつかなくなって嘘だらけの世界になっていき人は人を信用しなくなっていくディストピア。

私たちにとって信頼は命。

これ、私たちの働き方にとってめちゃくちゃやばい状況です。なぜって私たちは出社を前提としないはたらき方を実現し、いわゆる完全な下でを行なっているからです。信頼こそが全てと言って良いんです。
日々メンバー同士向き合うのはモニター越しです。定期的に生身で会うのは年に4回のだけ。ある日突然モニター越しの相手がAIになっていたとしても見分けがつきにくいのがこの働き方。
このはたらき方は人と人とが完全な信頼で結ばれていなければ実現しないはたらき方です。
もしも、AIが今後も進歩し彼らが生成したものがもう全く見分けがつかなくなったとき、しかもそれらでWebページが覆い尽くされたとき、それはそんなに遠い先じゃないと思うのですが、その時人は目の前の人しか信頼しなくなるんじゃないでしょうか。リアルな現場で目の前で喋っている生身の人の声しか信用しなくなるんじゃないでしょうか。
だけど、私たちはこのはたらき方を続けたいしこれこそが未来を築けると信じてる、だけど……。

やばいぜミライ!とイタリア政府の記事を見ながら呟いていたその時、

ここを信じていれば大丈夫な気が。

沖縄のメンバーが一枚のを送ってくれました。彼は月に一度ボランティア活動として第一日曜日に沖縄の有名な観光地国際通りを清掃してるのですが、その時の写真です。
たった今終わりましたー!って一枚です。

ここだなぁって思いましたよ。人と人との触れ合いしかも社会をより良くしていこうという考えからの無償の働き。
私たちは何のためにはたらき、何のために生きるのか。
AIの進歩により、より創造的な活動ができるようになった人類は、最終的にはここにいくんじゃないでしょうか。
ここでこそ人は人を信頼し信用するように思います。人がゴミを拾っている時人は人を信頼し信用するような気がするんです。ここになーんかAIと対立するんではなくその技術と文化を楽しむためのカギがあるような気がします。

みんなでそれ見つけようよ、メンバーの皆さんヨロシクネ。

その時の様子をメンバーがホームページにアップしてくれましたこちらもよろしく。
2023/08/05追記

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