昨日、JR掛川駅を北口に出て、報徳社に向かう途中でちょうど昼時となったので、ラーメン店に入った。無口なお姉さんが大きな寸胴の前に立ち、湯切りを力強く行い、おばちゃんとおじちゃんが両脇を固めるという変わった厨房内の構図だった。豚骨だけどなぜか縮れ麺。
チャーシューに挟まれた細いメンマが無口なお姉さんを象徴しているように見えなくもないが、これが掛川ラーメンの特徴か?とか思いながら麺をすすっていると、頭の上から甲高い少女の声が響いてきた。
それがどうにも長い、終わらない。やがて、オキナワという単語が聞こえて来た。
そうか、今日は沖縄慰霊の日か、祈念の日かと、昨年訪れたヒメユリのことを思い出していた。少女の顔を見ていると、大阪北部の地震で犠牲になった小学生のことが思い浮かぶ。犠牲になった璃奈ちゃんは18日のその朝はあいさつ運動のため、普段より早く1人で登校して地震に巻き込まれたそうだ。
「あいさつ運動」。きっとこの少女のようにはきはきと笑顔で挨拶していたんだろう。
テレビモニターの中の少女の名前は相良さん、14歳、曽祖母の体験を聞き「命よ響け」というこの詩を作ったとのことだった。
少女の詩は、沖縄戦で亡くなった無念の人々への哀悼歌であることは違いないのだが、一週間前に亡くなった璃奈ちゃんにも語りかけているように思えた。
相良さんの下のお名前は倫子(リンコ)ちゃん。まるで、僕たちが今から向かう報徳社への道案内をしてくれているようなお名前だ。ありがとう、リンコちゃん。
‐ 命よ響け ‐
私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道、/萌(も)え出づる山の緑、/優しい三線の響き、/照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
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