代表的日本人 – Representative Men of Japan.

大日本正門。
向かって右に道徳門・左に経済門と刻まれている門柱は明治42年の建立。
の調和した社会づくりをめざす報徳の教えを象徴しているとのこと。
一緒に撮影に応じてくださった方は公益社団法人大日本報徳社専務理事の松本一男さん。
市役所で教育関係に携わっていらっしゃったとかで、館内ではとても熱く尊徳を語ってくださった。

キリスト教思想家であり、無教会主義を唱え伝道活動も行った内村鑑三の著書に、Representative Men of Japanー「代表的日本人」がある。

その中で取り上げられている代表的日本人は、西郷隆盛」、「上杉鷹山」、「二宮尊徳」、「」、「日蓮上人の5人。時代はバラバラというか偏ってるし、ほぼなんの脈絡もないのではないかと思える。
内村と同じ宗教家という点では日蓮がそれにあたる。日本仏教の中でも日蓮宗は一神教的性格が色濃い感じだし、その点でも共通かと思われるが、影響力の点では、に生まれた真言宗、空海。信者数や教団の大きさではであり、親鸞。こちらの方が代表的日本人と言えばそうなのではないか。
西郷隆盛と中江藤樹は繋がりだけど、一方は軍人であり政治家。一方は思想家。上杉鷹山とは政治家と思想家だが、倹約に努めた篤農家という点で共通点はある。

内村鑑三はなぜこの5人をピックアップし、明治の日本にあって海外に知らしめたい日本人の代表として取り上げたのだろう。

本書を読めばそれはたちどころに理解される。なぜ内村はこれら5人を代表的日本人としたのか。しかし、ここでは多くは述べない。

ただ、僕自身は本書を一読後かなりインスパイアされてしまい、その後、
Tell us your historical figure born in your home-town who you're proud the most. という企画を社内で実施した。

或る人物の生き方に共鳴することは決して悪いことではない。それは仕事をこなしていく上でも、大切なことではないかと考えたからだ。採用のためのを何度も繰り返すうちに強く思うようにもなった。仕事のできる人間は心に理想のモデルを持っていることを発見したのだ。”心の中のロールモデル”ってやつだ。

そして、その後のその後、山形に鷹山を訪ね、滋賀に近江の聖人(中江藤樹のこと)を訪ね、鎌倉に日蓮を訪ね、鹿児島に南州(西郷隆盛)を何度も訪ね、そして、今日、掛川に尊徳を訪ねた。

JR掛川駅前に設置された金次郎像。ここから掛川城に至る道にはあちこちに金次郎がいる。
松本さんの話によると、掛川市内21の小学校の全てに金次郎像は設置されているのだとか。さすが、本場ではある。

二宮尊徳というよりも二宮金次郎は僕の世代だと全国の小学校にあの薪を背負った像が必ず校門を入ったところに設置されていた風景だ。九州の片田舎にもそれはあった。

校門をくぐると、背中に薪を背負い、本を読みながら歩いている姿の少年の像が毎朝子どもたちを迎えてくれていた。

自ずと、そういう姿が生きるべき理想の姿であると子供らには植え付けられていった。

この頃、二宮金次郎像が各地の小学校に設置されたのは、儒教思想そのものだったのだろうが、金次郎のような貧しくとも努力し、勉学に励み父母を敬う人間像は当時の日本では強く求められていたのではないかと想像する。

当時は、自主的に国に奉公する国民の育成を進める政策を取っており、自らの力で貧困から立ち直り、幕府のために働いた二宮金次郎はそのモデルとされたのだろう。また、国の政策のためというだけではなく、純粋に勤労・勤勉のモデルとして銅像を設置した地域や企業もあったようだ。

時代は下って、現代。

小学校では先生方が疲れ切ってしまっていて、企業においては働き方改革が叫ばれ、金次郎が受け入れられる社会ではない。

薪を背負ったあの姿は、あの歩き方はスマホやりながら歩いている、いわゆる歩きスマホと二重写しになってしまい、危険を伴う行為とみなされ、全国の小学校から撤去が相次ぎ今に至っている。

どうしても金次郎像を設置したい方々は苦肉の策として、「座り金次郎」を創作し、全国には座って休んだ姿の金次郎が何体かあるそうだ。

一歩踏み出した金次郎の足。社会のため、自分のため、前へ。

だけど、座った姿の金次郎では、本来表現したかったものはできないのだと、これは尊徳のご子孫の方の講演で聞いたという方に聞いた。またぎきだけど、良い話なので述べる。

あの像が象徴しているのは「勤勉」というところにあるのではなく、「薪(責任や重荷)を背負いながらも、本を読み(物事をよく見て知ろうとし)、かつ、片足を前に出して『一歩踏み出している』」ところにあるのだそうだ。だから、座って休んで本を読んでいる金次郎ではあまり意味がないことになる。

そうやって考えてくると、尊徳の有名な言葉。「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」が見えてくる。会社経営と同じではないか。CSR(Corporate Social Responsibility)とも繋がってくる。

冒頭のの”道徳”と書かれた門柱と”経済”と書かれた門柱がアーチが繋がれている。この二つは車の両輪であり、片方、いずれが欠けても物事は成就しない。
それは、あるべき企業の姿、あるべき経営の指針を表したものだと思える。
あのスルガ銀行の入り口の門には片方がなくなっていたか、朽ち果てていたのだろう。

代表的日本人として内村鑑三が当時の欧米列強に知らせたかった二宮金次郎は、残念ながら、今の日本では像は撤去されつつある。
しかし、今それは、ワールドカップが開催されているロシアから全世界に発信されているようだ。
試合後に、日本人サポーターが青いビニール袋を持ってスタンドに落ちたゴミを拾っている様子が中継され、各国のレポーターがそれを賞賛の声でつたえている。

ガンバレニッポン。

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