望月さんのところでも書いたけれど、サーチエンジンが発達して、AIスピーカーなんて登場してきて、もう検索結果への疑いすらなくなってきた昨今。
先ずは、スマホに向かって問い合わせるという行為がごく自然になってきた。
そうすると、業務の現場では何がおきるのか、どうなるのか。
どうにも僕には、”事前に調べておけ圧力”が強まっているように思います。
これは他人から言われるのではなく、自分自身がそう思ってしまう圧力。
いつでも調べることができる状態にあるので、事前に調べることがマナーやエチケットの類いになってしまっていて、エチケット違反を犯すわけにはいかず、礼儀として定着しているようだ。
新人の方はとくにそれが強い。先輩社員や周りの人に迷惑を掛けてはいけないという気持ちがとても強いからだ。
新入社員の方は最初は分からないことばかりなので、質問しようとするとそれが余りに多いのも理由だろう。だから躊躇してしまうというのもある。あまりに聞きすぎだろうと自らの行動を抑制してしまう。
それともう一つには、人はやはりアホとは思われたくないので、聞くのは憚られるのだろう。
昔から、”聞くは一時の恥,聞かぬは末代の恥”ということばがあるくらいだから、恥を畏れて聞かない人は多いのだ。
その心理に拍車が掛かっているのが現代だと思う。
その結果、自己解決を余儀なくされるのだけど、それが果たして解として正しいのかどうか、それが求めるべき解だったのか、自己解決なので周りの人は何も分からないと言う事態が起きる。
会社としてはやばい。
自己解決は時としてやばい。その方が何に疑問を持っていたのか、或いは持ってはいなかったのか、出てきた解は正しいのか周りの人には何も分からないのだから。
僕はもうちょっと調べる前に聞いた方が良いと思う。
時には、敢えて調べないで聞く勇気を持った方が良いと思う。
調べてから聞くのではなく、何のために聞くのかを考えてから聞けば良いのだと思う。
PCに向かって調べるのに勇気はいらないけれど、人に
その勇気を担保してくれるのが考え方。
だから、先ずは考え方を優先すべきであって、
会社がある京都の四条烏丸では、歩いているのは日本人より外国人観光客の方が多いのではないかと思えるぐらいだ。一昔前なら道に迷った外人さんが、こちらのドキドキ感も気にしないで、ホテルの場所とか有名な寺社仏閣への行き方を尋ねてきてくれたものだが、最近では全くそれには遭遇しない。
皆さん、スマホ片手にキャリーバッグ引きずって、或いはでかいリュック背負って40度近い京都の町を歩いて行かれる。
熱中症、気いつけや!
倒れそうになったら、何でも聞きや!
Comment
コメント一覧 (7件)
先日、
「聞かなければなにもわからない」とご指摘をいただきました。
その瞬間は、全くその通りだと納得はしていましたが、「何故納得はしているのに、その時自分は人に聞くという行動ができなかったのか」
その事を最近ぼんやりと考えておりました。
聞けなかった理由として「相手が会話をしている最中、取り込み中に割って入ってまで質問を投げかけるのは、如何なものだろう」
「会話が終わるタイミングで話しかけよう」というのが答えになると思います。
自己解決するのは良くない。これには同感です。ただ、「話しかけるための間、話しかけやすい雰囲気を作る」のも、その場で質問されようとしている人の「ちょっとした気遣い」ではないか、と私は思うのです。
今日は、skuさん。
コメントありがとうございます。
> 「話しかけるための間、話しかけやすい雰囲気を作る」のも、その場で質問されようと
> している人の「ちょっとした気遣い」ではないか、と私は思うのです。
はい、そうですね。
それは、気遣いとして尊ばれるべきことだと思います。
取り込み中の時に入っていってまで聞くのは、聞く勇気とはちょっと違うと思います。
僕が、このアーチクルでお話ししたかったのは、タイトルにもある通り「これぐら
い調べとけよ圧力」という、こういった圧力に屈することなく尋ねることのできる勇気の
ことを言っています。
検索行為が極めて簡単になり、当たり前になってしまった現在、人に聞くより、自分で
調べることの方がよりマナー度が高いとなってしまったので、自己解決する人が増えて
しまい、行き違いや、思わぬ事故が起きてしまってるんじゃないかという懸念を述べた
ものなんです。
株式会社Dai 代表取締役 木脇和政
ご返信いただき、ありがとうございます。
「人に物を尋ねることをせず、自己解決してしまう問題」に対してには、
仰る通り、検索することが容易になったことが原因ではあると思います。
ただ、「調べておけよ圧力によって、自己解決してしまう問題」に関しては、根本的な原因はまた別ではないかと私は考えています。
現代の日本社会において
「上司や周りに迷惑をかけてはいけない」
「それぐらい言わなくても理解しろ」という”不自然な暗黙のルール、常識”(風潮)がどうにもあるように感じます。
(「調べることがマナー」もですね。)
これらによって、例えば新人など全く知識のない者が、上司に簡単な質問をする際、
わざわざ「聞く勇気」を持たなくてはならなくなってしまう。
そして自己解決する人が増え、結果行き違いが生じてしまう。
人に物を尋ねる時に「勇気」を持たなければいけないこと自体が間違っているのではないかと思うのです。
今晩は、skuさん。
コメントありがとうございます。
> 人に物を尋ねる時に「勇気」を持たなければいけないこと自体が間違っているのではないか
済みません。
人に物を尋ねるっていうのは、結構な勇気ではないかと思います。
もちろん、人によってですが、一般的には結構な勇気が必要なんではと思うのです。
skuさんが、”「勇気」を持たなければいけないこと自体が間違っているのではないか”
と仰っているのは、誰に対してのどのようなことに対してのものなのでしょうか。
少し理解が追いつかないのですが、もう少し詳しく解説お願いできないでしょうか。
株式会社Dai 代表取締役 木脇和政
ご返信いただき、ありがとうございます。
「人に物を尋ねることをせず、自己解決してしまう問題」に対してには、
仰る通り、検索することが容易になったことが原因ではあると思います。
ただ、「調べておけよ圧力によって、自己解決してしまう問題」に関しては、根本的な原因はまた別ではないかと私は考えています。
現代の日本社会において
「上司や周りに迷惑をかけてはいけない」
「それぐらい言わなくても理解しろ」という”不自然な暗黙のルール、常識”(風潮)がどうにもあるように感じます。
(「調べることがマナー」もですね。)
これらによって、例えば新人など全く知識のない者が、上司に簡単な質問をする際、
わざわざ「聞く勇気」を持たなくてはならなくなってしまう。
そして自己解決する人が増え、結果行き違いが生じてしまう。
人に物を尋ねる時に「勇気」を持たなければいけないこと自体が間違っているのではないかと思うのです。
ご返信ありがとうございます。
私の語彙力が乏しい点、ご容赦ください。
また、私自身、人に尋ねることに対して特に臆することはなく、疑問に感じたことはすぐ尋ねる(根本としては)性格である点、ご考慮頂ければと存じます。
skuさんが、”「勇気」を持たなければいけないこと自体が間違っているのではないか”
と仰っているのは、誰に対してのどのようなことに対してのものなのでしょうか。
上記内容を説明させていただきます。
“勇気を持つこと”自体を否定したいのではなく、
ブログ内で記述されていた「新入社員が上司や周りの人に対して、何か尋ねる時」
この状況下の中で、
“勇気を持たないと相談もできないような状況”に、疑問を抱いているのです。
例えば、友人や家族に対して何か尋ねる際、「勇気」は必要でしょうか。
あくまで私個人の考えですが、特殊なな条件(相手が怒っている場合)や質問(相手にとって不都合な内容)ではない時、「勇気」を持って話すことはないかと存じます。
ですので、「新入社員が上司や周りの人に対して、何か尋ねる時」でも、
友人や家族と会話をするような気持ちで、尋ねることができるような環境であれば、そもそも「勇気」を持って尋ねる必要も無くなるのではと考えています。
今日は、SKUさん。
度々のコメントありがとうございます。
> 友人や家族と会話をするような気持ちで、尋ねることができるような環境
> であれば、そもそも「勇気」を持って尋ねる必要も無くなるのではと考えています。
これは、ちょうど昨日のあさかい(このブログをあさかいで検索すると色々でてくるかと思います。)でも出た話題でした。
CTOの発言でしたが、CTOだからこそかも知れませんが、彼は、”心理的安全性”という
ことばを使って、そのことを説明していました。
Googleが広めた言葉のようですね。
https://bizhint.jp/keyword/101187
組織を考える時にはとても重要な考え方だと思います。
SKUさんが、この”心理的安全性”ということばをご存じだったかどうか分かりませんが、
はからずも同じような概念に辿りつかれているのは面白いですね。
どうもいつもありがとうございます。
株式会社Dai 代表取締役 木脇和政