私たちの会社では月に5回から6回ぐらいアサカイを英語で行ないます。
今日はその英語デーでした。
といっても皆さん僕も含めてそんなに英語が得意なわけじゃないので全部が全部英語ってわけじゃないです。どちらかと言うと英語でやりましょうってよりも日本語をなるだけ使わないでアサカイやっていきましょうって感じです。
じゃあなんでこんなことをするのかって言うと、申し訳ないですがそんなに英語が上手になりたいとかそういう目的ではありません。
組織をフラットにし主体者をはっきりさせるための練習です。
私たちの会社には外国籍の方もいらっしゃるし日本語がそんなに得意じゃない方もいらっしゃるので、アサカイは英語通訳を交えてやったりします。普段のアサカイでは皆さんが日本語を話していてそれを通訳してもらうという感じです。
ただこの英語デーの時には 逆です、私たちが英語で話をしてそれを通訳の方に日本語にしてもらうという形です。
では、なにゆえこれが組織をフラットにし主体者をはっきりさせるための練習になるのかです。
英語はご存じのように敬語的なものがあまりないですね。そして主語が必ず存在します、つまり主体者が明確に存在します。
この2点において日本語と真逆です。
日本語はとても美しい言葉ですけど敬語は組織を硬直化させる要因にもなります。 その防波堤的役割を英語に担ってもらおうって考えです。
英語ってそのまま日本語にしちゃうとほぼタメ口ですよね。例えばワッツ ドゥユーシンク アバウト ディス イッシュー。What do you think about this issue?
なんてのを社長に向かって言ってるとすると日本語では、社長この問題についてどう思いますかですけど、英語だと社長ではなく”あなた”ですからね、ほぼタメ口といっていいでしょう。このタメ口をタメ口と意識させなくてフラットにしゃべれるのが英語だと思います。
それからもう一つは主体者がはっきりしてるということですね。
アイであったりユーであったりウィであったり イットであったり、天気に至っては仮主語を立てたりするぐらい主語が好きな言語ですね英語は。
それに対して日本語は誰がやってるんだかよくわからない、ぼわっとした言語です。
有名なところでは、文豪夏目漱石が熊本で英語の教師をしている時のエピソードとして、アイラブユーを”月がきれいですね”と訳したとか。いかにもというエピソードです。
日本語はこれはこれで美しいものであったり情緒を感じたりします。
しかし放っておくと主体者不在の会話になってしまうんです。
組織において重要なのは、あなたがどう思っているのか、私はこう思うという主体者同士のぶつかり合いです。そして結果にはそれ相応の責任が伴う。それを覚悟しながら前に進んでいく。曖昧ではよろしくないのです。
そういう人のぶつかり合いが個人を成長させ、この成長が組織の成長、社会の成長につながっていきますから、主体者が誰であるかというのはとても重要なんです。
ということで私たちの会社では月に5、6回、英語が上手になりたいわけでもないのに英語で会話している、変な会社です。
今日のアサカイに出てきたフレーズを抜き出してみるとこんな感じです。
Are there any topics to be shared?
何か連絡事項ありますか?
Under the same context
この流れでちょっと補足ですが
Speaking of Fukuoka expo…to make our event succeful
福岡ですけどその展示会成功させましょうね。
Those who are available.
参加できる人は誰?
I would like to share a story.
これちょっとシェアしたいんだけど
Proposal from Shikadango, creating super recuruiting team,
鹿鹿団子ちゃんからめっちゃ強力なリクルーティングチーム作ろうよって提案だよ。
Do not set up a wall, limitations surrounding you.
自分を囲む壁や制限を作らないでね。