
ゴロゴロ税あっても良いのでは。
観光ってなんだろう。
観光。改めて見ると不思議な言葉です。観る、光。光を観る。では、何の光を観るのでしょう。そういえば、観光って英語では何と言うんでしたっけ。sightseeingですね。サイトシーイング。あれ、サイトを見る?と思って綴りを見てみると、場所を意味する「site」ではありません。「sight」です。sightは、目に映る景色や名所。seeingは、見ること。言ってみれば、目に見えるものを見に行く。では、日本語の「観光」はどうなのでしょう。気になって「観光」という言葉の始まりを調べてみました。すると、中国の古典『易経』にある、「観国之光」という言葉に行き着きます。国の光を観る。
ここで初めて「国」が出てきました。観光とは、もともと国の光を観ることだったようです。では、その国の光って何でしょう。太陽の光でもなければ、夜の街を照らすイルミネーションでもなさそうです。とはいえ、古代中国の『易経』を読んだところで、私にその意味がわかるはずもありません。では、この「国の光」という言葉は、今の日本ではどのように受け取られているのでしょう。もう少し調べてみました。観光行政を担っている国土交通省の説明では、「国の文化、政治、風俗をよく観察すること」、そして「国の風光や文物を外部の人々に示すこと」という意味を持っていたとされています。なるほど。ここからは、私の勝手な解釈です。
勝手に解釈しちゃいますけど、それって、ひっくるめると文化ではないでしょうか。神社やお寺、美術品や伝統芸能だけが文化なのではありません。その土地で人々がどのように暮らしているのか。どんな言葉を話し、何を食べ、何を大切にしているのか。そこに流れている時間や、人と人との関わり。そういうものも全部、文化です。だとすれば観光とは、その国の文化を観に行くことなのではないでしょうか。sightseeingが目に見える景色や名所を見に行くことだとすれば、観光は、その目に見えるものの奥にある光を観に行くことなのかもしれません。
会うって、なんでしょう。
そう考えると、観光客が日本に来てくれることは良いことだと思います。日本の光を観てもらえるからです。日本の食事、街並み、そこで暮らしている人たち、そして日本の文化に実際に触れてもらえます。私たちも、外国から来た人たちに会うことで、その人たちの国や文化を知ることができます。ニュースやネットで外国のことを知るのと、実際にその国の人に会うのとでは、やはり違いますよね。もっとも、私たちはフルリモートという働き方をしています。通勤する必要はありませんし、どこにいても働ける。時間や場所に縛られないという点では、とても合理的な働き方です。でも、それと引き換えに失っているものもあります。同じ場所で働くこと。
仕事仲間と実際に会うこと。同じ部屋の空気を感じること。画面を通して顔を見ることはできます。声も聞こえます。仕事をするだけなら、それで十分なのかもしれません。でも、同じ場所にいる人の気配までは届きません。私たちは合理的な働き方を選びましたが、その一方で、実際に人と会うことを心のどこかで渇望しているのかもしれません。だからこそ、国を越えて人と人が実際に会うことの大切さもわかるような気がします。
島国には、人は空からやってくる。
人と人が実際に会うには、どちらかが動かなければなりません。同じ街に住んでいるなら、歩いて会いに行けます。遠ければ、車や電車を使います。では、国を越えて会うには。日本は島国です。島国には、人は空からやってきます。もちろん船で来る人もいますが、多くの人を日本へ運んでくるのは飛行機です。飛行機代が高ければ、誰もが気軽に国を越えることはできません。特に若い人にとって、飛行機代は大きな負担になります。その空の移動を、少し身近なものにしたのが格安航空会社、LCCです。日本で最初の本格的なLCCとして2012年に就航したのがPeach Aviationでした。そのPeachの企業理念は、
「ヒト・モノ・コトの交流を深めるアジアのかけ橋となり、人間愛を育むエアラインとなる」です。飛行機代が安くなれば、若い人たちも国境を越えて移動しやすくなります。外国に行き、そこで暮らしている人たちと実際に会う。その人たちの食事を食べ、言葉を聞き、文化に触れる。そうすると相手は、ニュースの向こう側にいる「外国の人」ではなくなります。ここも私の勝手な受け取り方ですが、人と人が実際に会って互いを知ることが、人間愛を育み、やがては平和につながっていく。Peachの理念には、そんな思いもあるのではないでしょうか。そして、私たちのフィロソフィーは、「文化を愛し、教養を育む」です。なんとなく似てますよね。
文化を愛するには、まずその文化を知らなければなりません。自分とは違う文化や価値観に触れ、相手のことを考えることで教養も育っていくのだと思います。Peachは、人を運ぶことで交流を生み出そうとしている。私たちは、働くことを通して文化を愛し、教養を育もうとしている。やっていることは違いますが、その根っこには、人と人が出会い、互いを知ることを大切にする同じような考え方があるのではないでしょうか。ですから、観光客には日本に来てもらいたいと思います。どんどん来てもらいたい。でも、なんです。
でも、乗れない。
各地の観光地でオーバーツーリズムが問題になっています。街を歩くと、大きなスーツケースをゴロゴロ、ゴロゴロと引いている観光客をたくさん見かけます。一個でも大きいのに、中には二個、三個と引いている人もいます。どうやって運ぶんやと思いますけど、運ぶんですね。そして、そのまま路線バスに乗ってきます。大きなスーツケースを持ってバスに乗れば、一人で何人分もの場所を取ります。通路はふさがりますし、乗り降りにも時間がかかります。その結果、仕事や買い物、通院、通学のためにバスを使ってきた地域の人たちが、満員で乗れなくなることもあります。観光客が来てくれるのはありがたい。
だけど、そのために、そこで暮らしている人がバスに乗れない。これは何かおかしくないでしょうか。観光客か住民か、どちらかを選ぶという話ではないと思います。どちらも気持ちよく同じ街を使えるようにする。それを考えないと、観光地そのものが疲れてしまいます。
車輪、ついてますよね。
車を持っていると、自動車税や自動車重量税など、いろいろな税金がかかります。私は、そうした税金が道路の補修などに使われているのだと思っていました。ところが調べてみると、道路のために使われていた税金は2009年に一般財源化され、今ではすべてが道路の補修だけに使われているわけではありませんでした。そう単純な話ではなかったんですね。それでも、道路や交通の仕組みを利用する人が、それを維持するために一定の負担をする。そういう考え方はありますよね。そこで、ふと思ったんです。スーツケースにも車輪がついているやん、と。
道路や歩道、駅、バスといった公共の場所を、毎日たくさんのスーツケースがゴロゴロと移動しています。だったら、スーツケースにも一個五円とか十円とか、ほんの少し税金をかけても良いのではないでしょうか。名づけて「ゴロゴロ税」です。半分は冗談です。でも、半分は本気です。
五円、十円ではダメでしょうか。
外国から持ってきたスーツケースを一個ずつ数えて、その場で税金を取る。そんなことは現実には難しいでしょう。空港で取るのか、宿泊するときに取るのか、今ある観光税に含めるのか。そこは考えなければなりません。五円、十円という金額が適切なのかもわかりません。大切なのは金額ではなく、大きな荷物を持って移動することで生まれる負担を、地域の人たちだけに押しつけないという考え方です。集めたお金で、大型荷物の一時預かり場所をつくる。空港や駅から宿泊施設へ荷物を運ぶ仕組みを整える。バス停や歩道を改善する。そうすれば観光客も、大きなスーツケースを持ったまま路線バスに乗らなくて済みます。観光客も楽です。
地域の人もバスに乗れます。それで良いのではないでしょうか。観光客に我慢してもらうだけでもなく、地域の人に我慢してもらうだけでもない。少しずつ負担を分け合い、観光と日々の暮らしを両立させる。
何事も、行き過ぎると。
観光は良いことです。外国から日本に来てもらい、日本の文化を知ってもらう。私たちもその人たちに会うことで、その国の文化を知ることができます。Peachが飛行機代を安くして、人と人との交流を増やそうとしていることも良いことです(CO₂の排出増大を除いては)。私たちのフルリモートという働き方も良いことです。通勤する必要がなくなり、時間と場所を自分たちの手に取り戻すことができます。でも、何事も行き過ぎると良くないんじゃないでしょうか。合理性を求めすぎれば、人と会う機会を失います。自立を求めすぎれば、人は孤立してしまいます。
お節介も、人を思う気持ちから始まったとしても、行き過ぎれば他者への侵害になります。観光も同じです。観光客が増えることは良いことです。しかし、増えすぎた観光客によって、そこで暮らしている人がバスに乗れない。いつもの道を歩けない。毎日の生活を続けられない。それはもう、良い観光とは言えないでしょう。以前、アサカイでオーバーツーリズムの記事を取り上げたことがありました。そこには「負の外部性を内部化することが重要」とありました。難しい言葉です。要するに、観光によって生じた負担を、そこで暮らしている人たちだけに押しつけてはいけないということでしょう。
観光客が大きなスーツケースを持ってバスに乗り、そのために地域の人が乗れなくなる。利益を得る人と、負担を引き受ける人が別になっています。だったら、その負担をほんの少し観光の中に戻してはどうでしょう。ゴロゴロ税は、観光客を罰するための税金ではありません。観光という良いものが、行き過ぎによって良くないものになってしまわないための、ほんの小さなブレーキです。一個五円でも十円でも良い。そのお金で荷物を預ける場所をつくる。空港や駅から宿泊施設まで荷物を運ぶ。大きなスーツケースを持って路線バスに乗らなくても済むようにする。以前、私は外国人観光客について、
「もっとじっくりと巡ってほしい、愛でてほしい、味わってほしい」と書いていました。今も同じ気持ちです。来てほしくないのではありません。来てもらいたい。でも、行き過ぎないでほしい。国の光を観に来た人たちによって、その土地の光が消えてしまったら、何をしているのかわかりません。観光という良いものを、良いもののままにしておくために。ゴロゴロ税。あっても良いのではないでしょうか。
