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株主はお金を、社員は**を会社に投資しているんじゃないかって。

はるのうみ ひねもす のたりのたりかな。 の句で有名な与謝野蕪村。 その蕪村が晩年を過ごした居住跡に隣接した貸し会議室で「大勉強会」は行われます。 蕪村のこの句は脱力系の代表作のようなものですが、さて、大勉強会はどうなりますか。

 

今年も全社員向け会計勉強会の日がやってきました。当社の決算は7月末日。数字が出そろったところで、それを全社員で見ながら、同時に会計の勉強もしていこうよというのが、”全社員向け会計勉強会”です。

参加資格はとくに定めてはいませんが、一応、入社一年を過ぎた正社員の方、です。でも、これは杓子定規に決めても仕方がありません。入社何年も経っていてもそれほどの意識がない方もいれば、入社数ヶ月でも会社の未来に思いを馳せ、自分の勤める会社の財務状況をとても知りたがっていたり、会計の勉強をしたがっている人もいます。

また、たまたまご家庭の都合でアルバイトで勤務せざるをえないけれど、とても社会に対する意識が高い方もいらっしゃいます。そんな方には是非参加してもらいたいのです。

なぜ参加してもらいたいのか。

法律上で言うと、こういった決算報告書を閲覧できる権利を有する方々は、株主と債権者、そして必ず提出しなければならない先が税務署。

厳密に言うとこの3者だけです。


会社は株主や債権者から決算報告書見せなさいって言われたら必ず見せなきゃダメだし、税務署に出さなかったらペナルティ食らってしまいます。

後は、会社に顧問税理士とかいたら、その方にも見てもらわないと業務が成り立ちませんから見ていただきます。税の知識が豊富な方々ですから、積極的に見てもらい、事務処理の軽減をはかったり、時には貴重なアドバイスを受けることになります。

分類していくと、株主と債権者は会社にお金を投資したり貸してくれている人たちで、そりゃ、自分のお金がどうなったか知りたいのは当然ですね。決算書は企業の成績表ですから、一年と言わず四半期毎に見せろと言われても筋としては通ってます。

税務署は、それはもう税金徴収がお仕事ですから、一年間どれだけ稼いだの?そう、そんなに稼いだの。では、これだけ納めて国のお役に立ってくださいというのは、これまた筋として通ってます。納税は義務であると同時にそれが正しく使われるのであれば、できるだけ多く納めて国の発展や社会の豊かさに貢献したいものです。

さて、そんな中一緒に働いてくださっている従業員の方々には見せなきゃいけない義務だとか、見せることによって得られる直接的なメリットはあまり感じられないですよね。

むしろ、デメリットの方が大きいし、義務ではないのだから敢えてそのデメリットを作る必要もないだろうというのが、恐らく世間一般だと思います。

自分の財布の中身を見せるってのは、けっこう勇気が必要だったりします。

いっぱい入っているときには、俺にももっとよこせと言われそうだし、入ってないときには、ケッ、しけた会社だぜっていって出ていってしまうかも知れません。数字は、いろいろな憶測と行動を呼びます。

ところが、これがちょっと視点を変えると、義務は貢献に変わるし、デメリットはメリットに変わっていきます。

株主や債権者はお金を会社に投資しているので、そりゃそのお金の使い道が不安でしょうから、俺のお金はどうなった、一年も待っていられないから四半期毎に収支見せろよとなって当然ですね。

会計の歴史を辿っていくと、この正しい収支を計算できるようになったからこそ、投資家は安心して投資できるようになったし、会社はそのお金で成長できるようになったので、この関係はとても大切なことだと思います。もしも会社が作成する決算書が正しい利益を示していなかったりすると、投資家はそんな信用のおけないところに投資しませんから、会社は継続することができず、一貫したサービスを提供したり、イノベーションを起こし社会に新しい価値を提供したりすることができません。正しい会計こそ、正しい会社を成長させると言って良いでしょう。

さて、視点を変えましょう。

株主がお金を会社に投資していくわけですが、毎日9時~6時まで働いている従業員はもっともっと大切なお金には換えることのできない”時間を投資している”のではないかと思えるのです。大きな流れで言うと人生を投資していると言っても良いです。

「お金と時間」

どちらが価値あるものでしょう。

人間の歴史始まって以来、今に至るまで、当時の為政者、権力者達は不老長寿を願い、あらん限りの金を費やしてその願いをかなえようとしましたが、成功したって話しは聞いたことありません。いくらかきいたってのもない。逆に水銀を薬だと思ってのんでたバカな皇帝もいたりして、むしろ短命なケースの方が多い。権力を維持しようとしたらハンパないエネルギがいるのでそうなりますね。

ちょっと話しが逸れましたが、どう考えてもお金より時間の方が価値があるわけです。つーか、時間の価値は絶対で他とは比較のしようがない、誰にもおかされることのない、その人が生まれると同時に与えられたかけがえのない財産。
では、その大事な財産である人生を投資している彼らは第一位のステークホルダーではないかと思えるわけです。法律には書かれていないが、会社の決算書にタッチできる権利を有しているのではないかと自然に思えます。

それに、こうやってネットが発達し、企業の姿が容易にあぶりだされてくるようになると、各企業の売上げ高というのは凡そ想像が付くようになります。企業内にいる人にとってはよりそれは容易です。

しかし、どこまでいっても分からないのが支出の部分です。会社がどこにどれだけ使っているのかは分からない。

こんだけ会社の売上伸びているのに、俺たちの給料は一向に上がらない、毎日残業やって頑張ってんのに、なんでこんなさびれたオフィスなんだ、なんで、なんで……。

これ、ヤバイっす。この状況やばいっす。

実際には、会社を維持、発展していこうとすると見えないところで支出が必要だし、内部留保だってしておかないといざという時に必要なわけです。つまり、全ては合理的な判断に従って、適切に処理されているわけです。

だったら、見せちゃえば良いじゃんなわけです。

外に漏れるのが恐いから……。

確かにそう。そういう危険性はある。しかし、それは仲間を信じるしかない。信じて信じてそれであかんかったら諦めよう。

社員は辞めちゃうじゃん……。

確かにそう。これも法律上は無期限雇用なんだけど、終身雇用なんて今は会社も本人も思ってない。会社はずっといてもらったら困ると思ってるし、本人も企業の永続性信じてないし、それ故にロイヤリティも持ちようがない。だけど、たとえそうだとしても、人生の一時期をそこに賭けていることは間違いないって思うんだ。

考え方を変えるべきなんだ。自分たちが額に汗して働いて得た金がどういう使われ方をしていっているのか、それを知る権利がそもそも存在しているのだと。そもそもが存在している権利なんだと。

後は、その権利を行使するかどうか。

それに、会社は変なお金の使い方をしていたら、まず見せることはできない。贈収賄にまみれた関電幹部は最初から見せるつもりなどないし、隠し通せると思っていた。全ては支出の部分が不明朗だったと言えるでしょう。

視点を変えましょう。視点を基本に戻しましょう。

会社は何のために存在するのか。

社会のためです。社会のために会社は存在しています。

そして、会社は社会人たる従業員で構成されているわけですから、会社=社会そのものとも言えます。

それゆえ、会社の健全なる発展はストレートに社会貢献に繋がっていきます。働いていっぱい儲かったら、あ、社会貢献できたなって思えなきゃなんない。

だからこそ、勉強をしなければならないんですね。ただ、会社から示される決算書を見てうなずいているだけでは、決算書を見る権利はあったとしても資格はないと言えるのではないでしょうか。

財務諸表の見方を勉強しながらその場に臨むことが社会人としてとても意味のあることなのです。

さ、未来のために勉強しましょう。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

きく、聴く、聞く。

うだるような、燃えるような夏のピンクッション。
うだるような、燃えるような夏のピンクッション。菊じゃーないんだな。花言葉は「どこでも成功を」

一般的には、自然と耳に入ってくることが、「聞く」。それに対して注意をしてきくときには、「聴く」をあてる。「声を聞く」だし、「音楽を聴く」だし。

英語にしても、聞くはhearだし、聴くはlistenかな。

「聞く」は、注意をしようがしまいが勝手に音が頭の中に入って来ちゃう。「聴く」は、こちらがきこうとして耳を傾けないと頭の中には入ってこない。だから、音楽は聴くものなんでしょう。静かなところで耳を傾けると心も落ち着き、時には心も躍る。

じゃー、心の中に直接入ってくるのはどっちなんだろう。たとえ静かだろうと、うるさかろうと、入ってくるのってあるよなと思いながら、うだるような真夏の昼過ぎ、町を歩いていると、「五山の送り火」を控えた山裾に「聞法」と書かれた建物が見えてきた。

なるほど、法は聞くんだね。こちらが聞こうとしようがしまいがそんなことには関係なく、勝手に心に入ってくる。

お盆の休暇も終わって、今日から仕事も本格始動。皆さんはどんな声を聞いてきたんだろ、聞かせてきたんだろ、なんてちょっとまとまりすぎか。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

5000人×幸せ

盛和塾世界大会。パシフィコ横浜

稲盛塾長が主催する「盛和塾」は年内で解散することが決まっています。年に一回この時期に行われる「世界大会」も今日が最後となります。

塾の教えの根本は「利他」であり、具体的には全従業員の物心の幸福追求であり、社会への貢献です。

本日ここに集う経営者5000人。偉そうに言っちゃうけど彼らは利他の実践者と呼んで良いと思う。全てが全てとは言わないけれどやはりそういった意識の高い経営者の集まりだ。

これが年内でなくなってしまう。惜しい。日本にとって、世界にとって。

だけど、世の中的には執着し、未練がましく残しがち。そんな中にあって、これもまた潔いご判断、凄すぎる。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

言葉こそ文化。Japanese Language Proficiency Test.

Japanese Language Proficiency Test.略してJLPTと言いますがこの単語ご存じの方ってほとんどいないと思います。

日本語に訳すと、「日本語能力試験」です。

ここまで書くとどんな試験かお分かりでしょう。想像はつきますよね。日本語を母語としない方(決して一括りに外国人ではありません。)が、日本語の能力を測るために受験します。N1~N5までのレベルがありますが、N1の資格を持っている方というのは、ほぼ日本語でのコミュニケーションになんの不足も感じられない程度です。逆にN5レベルとなると、日本語を学び始めたばかり、敬語とか漢字とかはまだまだです。

実施しているのは、国際交流基金とかの団体です。

年に二回、夏と冬に世界の主な都市で実施されているのですが、今日はその年に二回あるうちの夏期実施分が行われた日でした。当社からは3人の若者が挑戦してくれました。

もう試験もおわった頃です。彼らもどっと疲れが出てるか、晴れ晴れとしているか、いずれにしてもよく頑張ってくれましたねと声を掛けて上げたいです。

日本人として、日本語を学んでくださる姿というのは、ただそれだけで嬉しいです。

なぜ?

ことばこそ文化だと思うからです。

今は、正にインバウンドブームで当社の本社がある京都などはどこに行っても外国人観光客で一杯です。果たして彼らがいなくなったら京都の観光産業、GDPってどうなってしまうんだろうってぐらい彼らに支えられています。

そして、彼らは日本の神社仏閣を巡り、日本の風景を愛で、日本食に舌鼓をうってくれます。お金を落としてくれて文化交流にもつながりますから、観光産業様々です。

だけど、なんか荒れた感じがするのは私だけでしょうか。

もっとじっくりと巡ってほしい、愛でてほしい、味わってほしい。そんな気持ちの日本人はこの急速なインバウンドブームを目の前にして多いのではないかと思います。

そんな中、日本語を勉強してくれている、学習してくれている人の存在があるのを知ってほしいなって思います。

語学学習って地味です。試験なので問われるのは会話力ではなく、語彙力、文法力待遇表現にまで至ります。でもそうやって身に付けた語学力からは真の文化に対する理解やもっと言うと敬意も生まれるのではないかと思うんです。

TOEICやTOEFLは知っていてもJLPTは知らないって日本人のなんと多いことか。

だから、だから、今日JLPT受けてくれた彼らに僕は日本人として感謝の気持ちを述べたい。

ありがとうございました。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

”B cart brings purchase ordering to the clowd.”

私たちが提供するBカートを一言で定義、あるいは説明すると次のようになります。 「BカートとはBtoBの受発注システムをEC化するクラウドサービス」

では、これを英語で定義するとどうなるか。

”B cart brings purchase ordering to the clowd.”となるそうです。

これを聞いたスタッフが、この英語には企業間取引という単語がないので、それを入れてほしいと注文したところ、”Purchase”という単語に企業間取引、つまりB2Bのニュアンスが入っているんだそうです。

英語にしちゃうと実にシンプルですね。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政






点(知識)と、線(教養)

オクラレルカ(Iris ochroleuca):花言葉は、良い知らせ。
なぜ、良い知らせなんていう良い花言葉が着いているかというと、この花が、アヤメ科アヤメ属の多年草でありアイリスの一種だから、アイリスはギリシャ神話のイリス女神。女神だけれど背中に羽根があり、神々の国と地上を虹を渡って行き来した。真っ直ぐ伸びたアイリスの葉っぱが天に伸びた様子から、そんな想像が湧いたのかな。櫻田会長がフランチャイズ業界を引っ張って行くことになる正に良い知らせだ。

入社間もない方がちょっと困ったり、行き詰まったりしたときの常套句。

「私はなんの知識もなくて恥ずかしい、早く皆さんに追いつくように頑張ります。」

それに対して、毎度のことに言うのが、

「知識はあるに越したことはないけれど、ないことを憂いても仕方がない。それに、君は追いつこう追いつこうとしているけど、それはなんのためなの? 皆さんに迷惑を掛けまいとしてそう考えているのであれば、それは間違いだよ。
むしろ、迷惑を掛けれるだけの勇気を持たなければならない。
それに、君とは違う個性の人に追いつくことになんの意味があるだろうか、仮に追いついてしまったら、その後はどうするの?
追いつくべきは君自身にであって、君の心のポーラスターに向かって歩んで行けば、それが教養となり、知識は自然にたまっていくのだよ。」

なんてことを話します。

心のポーラスターなど、いささか面映ゆい表現ですが真にそう思うのです。

こんなことを話した数日後、なんとなくきのわきさんの仰ることが分かって来たような気がします。皆さんに迷惑を掛ける勇気を持たなきゃダメですね、でも、知識と智恵の違いがもう一つ分からないのですと言ってきました。

> 知恵っていうとおばあちゃんの知恵袋という位なので
> 知識とはまた違う経験に基づいたもので、
> 異なるものかなと思いました。

それに対しては、まー、knowledge と wisdom の違いでしょぐらいでお茶を濁しました。本当は智恵も般若の智恵、パンニャぐらいにいけば見えてくるのでしょうが自分自身そこまで分かってないからです。

しかし、その方とのやり取りを通じて、知識と教養は点と線の関係のようなものではなかろうかと思えてきました。

僕は、知識と教養の違いについて度々話しています。それはやはり、教養のない人間には大きな仕事はできないし、当社の業容を高めていくためには自分も含めて教養が高くないと難しいと感じるからです。

「教養とは、知識と知識を結びつける、点と点とを結んでいく線のようなもの、それが教養なのではないかと。と言って、闇雲に結んでいってもダメで、それは心のポーラスターに従わねばなりません。そのポーラスターに従うのが人生であり、そのポーラスターを探すのが生きていくってことではないかと。だから、点はある程度あった方が良いんですね、余りに少ないと線を結ぶことができませんから。でも点だけあってもそれをつなぐ線が引けなければ何にもならないのだけど、その線を引くためには心の座標軸が必要なんですね。」

なんてことを新人の子との会話で思ったのでした。

**さん、ありがとう。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

自然に和するはずなんやけど。

「和而不同」

和すれどしかして同ぜずと読むのでしょうか。

論語の、「子曰、君子和而不同、小人同而不和」これの前半部分がよく取り出されますが、全体を書きくだすとこのような感じなのだそうです

「子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」

孔子さんが言わはりました。

君子、まー偉い人は和するけど、つまり人と協調はするけど、人に媚びたりその場に流されたりすることははしない。つまりちゃんと自分の意見を持っていてそれと合致していれば、合わせるし協調する。しかし、間違っていると思ったら頑として合わせない。
一方、つまらない人物、つまり小人は自分自身の意見がないために、人に媚びたり流されたりはするが、それはその場だけのことだから、人と協調しているわけではない。
こんな小人になったらあかんよ、君子を目指しやと言っているのだと思います。

和という言葉が出てくると大抵の日本人は、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子を思い出すのではないでしょうか。それほど日本人はこの「和」という字が好きで、そこから忖度なんていう今ではマイナスイメージとなった行為も自然と出てきたりしましたね。

因みに私の名前は和政。

ちょっと話しがそれました。元に戻すと、最近この「和而不同」を声に出したくなるようなことが多いんですね。

組織論の話しに持って行きます。

そして、僕はこの言葉をもっと拡大解釈というか、すると、君子というのは何も特別な存在ではなくごくごく普通の人間のことではないのかなと思うのです。つまり、人は元々は和するものではないのかと。

​なぜなら、人がそれぞれ持ち合わせた道徳に従って人生の活動を行えば自然と和していくはずなのです。良いものは良いし、悪いものは悪いというのは共通して存在しているのであまり合わせようなどと思わなくとも結果として和します。そこに共通の言語とも言うべき倫理的価値観が横たわっているからです。

しかし、組織の力学はそれが発揮されるのを妨げるかのように働きます。いわゆる同調圧力を生み、特に新人の子などは容易にこれに絡め捕られていきます。失敗してはいけない、周りに迷惑を掛けてはいけないという生真面目な性格が、同調へ同調へと流れていきます。

業務内容もまだ十分に分からず、周りの先輩はそれをゆうゆうにこなしている様を見せられると、それに合わせないなどは、よほどのひねくれ者か、自分或いは自分の存在意義を持った強い精神力の持ち主でない限り不可能です。

本来、和して同ぜずであったはずの心が、同じて和せずに変化していきます。

そして、彼、彼女たちはやがてそこに取り込まれていつの間にか同調者側のメジャーグループに属するようになり、被害者であったはずが今度は加害者の側に回っていきます。

これは、いじめの構図と何も変わりません。

同調しなければマイナーリーグに落ちてしまいます。決して落ちないのに落ちると思い込んでしまってる。

では、会社はそれに対して用意はできているのか、いわゆる「心理的安全性」などの失敗を許容する文化やシステムはあるのか、そもそもお前自身ははできているのか、孤高の人たり得ているのかという自問は常につきまといます。

全くできていません。

ただ、そこに向かっ​​​​て歩むのみです。試行錯誤の日々です。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政



誕生日休暇。

ダリアの花言葉は感謝。

作家の永六輔が言っていた。

「自分の誕生日を一番感謝すべきは、自分のお母さんにじゃないのか」と映画評論家の淀川長治が言ってたって。いかにもヨドガワナガハルらしいことば。映画を愛するようにお母様を愛していたんだろうな。

当社には本人の誕生日休暇と同居している家族の誕生日休暇制度があります。ですから、一人暮らしの独身だと、誕生日休暇は1日。4人家族だと合計4日間の休暇。それは、自分の誕生日よりも家族の誕生日の方が嬉しいし、子どもの誕生日なんて無茶苦茶嬉しいし、それを祝う休暇はまっとうではないかという考えからでした。

元々、日本には自分の誕生日を祝う風習なんてなかったんだよ。それは戦後教育の一環で個人というものの大切さが意識させられたから。だから、戦前には天皇誕生日を国をあげて祝うということはあっても、子どもの誕生日に誕生日ケーキを買ってきてなんてのは、ごくごく一部の山の手といわれる家庭にしかなかった。

その誕生日ケーキの起源についてもそれは古代ギリシャにまで遡ることになる。 月の女神「アルテミス」の誕生日を祝うために円形のケーキを神殿に供えたことに始まるらしいんだ。

ということで、もともと、人は自分より周りの人を祝いたい動物なので、誕生日休暇も自分ではなく家族まで含めたということです。

でも、でも、ここまで書いてきて冒頭の淀川長治のことを思った。考えてみると、自分の誕生日を祝うというのもありだなと。

自分を産んでくれた人へのありがとうの気持ちとして、自分の誕生日を祝うというのも十分にありだなと。

つまりは、心がどこにあるかなんだな、どこまでいっても。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

Leap before you look!

アンスリウム(大紅団扇)(Anthurium):花言葉は、赤いアンスリウムの場合には”情熱”いかにもという感じです。情熱があればきっと見る前に跳んじゃうんだと思う。

超新人K.H君とのメールのやりとり。気持ちよかったので本人の了解を得てそのまま転記します。

Leap before you look!
見る前に跳べ!
です。
見る前に跳んだらケガするやんと思うけど、
ケガしないと成長しないと思う。

きのわき

> おはようございます。
>
> Leap before you look!
> いい言葉頂きました。
> やる前にいろいろなことを考えてしまい
> 考えることで結局満足してしまう。
> あるいはやる前に損得を考えたり
> 効率が良い悪いを考えて
> 結局理由つけてやれなかった。
> こういったこと今までに結構あったかもしれません。
> でも僕の場合は結局やらなきゃ気が済まないタイプでもあります。
> だから今までの人生遠回りだったと思います。
> 自分で分かっているので
> これからの選択は簡単。
> あとはその時に行動できるかどうかで
> これからの人生大きく変わると思います。
> 自分の行動次第。
> Leap before you look!
> これで行きます。
> ケガすることが一番の近道ですね。

#検索すると、以前の記事のコメントでも書いてたようです。このことば自分でも好きなんですね、きっと。

オープン、フラット、シンプル。

アガパンサス(紫君子蘭)(African lily):花言葉は、”ラブレター”だけど語源が良い。ギリシア語の愛(Agape)と花(Anthos)をくっつけてるというのだから。それに和名には君子という文字が入ってる。君子とは徳が高く品位のある人のことですから、この記事には相応しいんじゃないかなー。

会社経営で目指すのは、オープンでフラットでなおかつシンプルで。

入社を控えた方とメールのやり取りをしていて、彼に自社の経営方針とか何とか話していると、日頃から使っている頻度が高いこれらの言葉が口を突いて出てきました。

オープンに、多くの場合、情報をオープンに。つまりディスクローズしていくことですけど、これは外に対してももちろん内側に対してもです。情報のオープン化こそが”信頼”を得るための最善のツールだと考えます。
良いことも悪いこともちゃんと伝える。そのことで社外から信頼を得ることができるはずです。そし内にあってはいわゆる疑心暗鬼のようなものが社員間に生まれることを防ぎます。つまりオープンにすることが最も信頼を得るには最適な手段だと。何より、自分自身の精神衛生上もプラスですしね。

フラットは会社組織に掛かってきます。物理的な壁を設けないと同時に心理的にも壁をなくしいつでも爽やかな風が吹き通すような組織が理想でしょう。
これを言ってはいけないと抑制の気持ちが起きることが一番よくない。
それは組織に壁があるからなのですが、日本人が得意とする忖度も一種の壁建設に拍車を掛けているものの一つだと思います。いくら会社が壁を取り除きフラットな組織を作っても個人が自分の心の中に壁を築いてしまっている場合があります。こっちの壁の方が強固で一際高くそびえ立っているのですが、これをいかにして崩していくのか、これは組織と個人との共同作業のようなところがありますね。

そして、シンプル。これは考え方。ものごとをシンプルにシンプルに考えていく。会社組織というものは、時間を経ると次第次第に何かが溜まっていきます。それは物もそうだし、考えもそうです。
これは要るのか、本当に必要なのか。やりたいのは何なんだ、そのためにこれをやる必要があるのか。本当は必要ではないものがいつの間にか溜まっていきます。それが思考を妨げていきます。

シンプルに考えれば答えはすぐそこにあるのに。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政