那覇市から、明後日はもう一つの515。

彼の自宅からこの場所まではおよそ車で30分らしい。今日のアサカイのために激しい雨の中、「那覇市民会館」前から参加してくれた。
ビニール傘をさしながら立つ那覇市民会館は、当時の建設もいい加減だったようで、コンクリートを固める砂の塩抜きがあまり行われておらず、鉄筋が錆びてしまってもう解体が決まっているようなので、中に入ることはできずフェンスの外から色々語ってくれました。

タイトルの”もう一つの515。”この515という数字の並びからわたしたちが想像するのは戦前の5・15事件だと思います。2・26と並んで日本史の教科書には必ず出てくるものでしょう。この二つの事件を契機に日本の政党政治は終わりを告げ, 軍部は政治への発言力を強めていきました。そして、あの戦争に突入していきました。

5・15も2・26もその事件が起きた日にちからとっているわけですが、もう一つの515は事件ではありませんが、あるイベントが行われた日でした。

明後日の5月15日は、が日本に返還されてちょうど50周年になるそうです。
その日はたまたま日曜日なので私たちの会社はお休みですし、当然アサカイはありません。それで週末の今日、沖縄在住のメンバーが、その現場に行ってくれました。現場とはその50年前の記念式典が行われた那覇市民会館です。実際に式典が行われたのはそこに隣接した那覇市・与儀公園だそうですが、50年前のその日も今日と同じく県内各地で雨が降り、那覇では60ミリ以上の降水量を記録したそうです。

そんな土砂降りの雨の中、約1万人の市民が与儀公園に押しかけ米軍基地を残したままの復帰に抗議したのだそうです。昔も今も続く基地問題はその時にも当然あったのですね。

50年後の今年世界は大きく変わりました。のウクライナへの侵攻、各国の安全保障問題が取りざたされています。今日はフィンランドのサウリ・ニーニスト大統領とサナ・マリン首相がNATO加盟を申請するべきだとする共同声明を発表していました。世界は大きく2つに分かれようとしています。専制国家と民主主義国家と。そんな中にあっての沖縄の返還50周年。

仕事とは関係ないそんなことを、時間中になんでそんなことするんだと言われそうですが、こんなことも知らないで無関心で良い仕事ができるとは私には思えません。
私たちは私たちの事業を通じて社会に貢献したいと思っています。であれば今社会で起きていることを知らずに貢献などできるものでしょうか。
政治的に何があると言うわけではありません。ただそこに住み生活している人が私たちの同じメンバーでそこであったことが共有されたということ、それだけのことですがなかなかできそうでできないことだと思っています。

子どもにも沖縄特集が
アサカイの途中、自宅から参加のメンバーがおもむろにカメラに向かって新聞をアップ。
なんでもこれはお子さん向けに取っているこども新聞だそうで、その日の紙面は沖縄特集。
一面から最終面まで沖縄でしたよっていうお話しでした。
新聞のは守礼門とそれを紙幣に使った2000円札のようです。
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