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二つの維新

今日の朝会(あさかい)は二条城から。そして今日は85年前、昭和維新に向かって青年将校達が行動を起こした二・二六事件の日。しかし、この写真の日付は二・二五。日付をまちがってしまって一日早く現場に着いてしまった。しかし、お陰で今日は京都は朝から雨模様だけど、この日はこの通りの良い天気。

今日の朝会(あさかい)は二条城前から。

私たちは在宅勤務を始めてもう間もなく1年になります。在宅と言ってもリモートワークなので自宅でだけやんなきゃだめなわけではありません。カフェでも図書館でも別にどこでも良いわけです。
ただ、朝の9時から始まる朝会(あさかい)(朝礼みたいなものだけど呼び名は敢えて朝会(あさかい))は各人の家からアクセスして参加というのが多いですね。

そんな中、僕はなるだけ自宅からはアクセスせず、なるだけ野外、屋外から参加するようにしています。近所の公園や畑や池の端や神社の境内等々からです。

毎日、家の中からじゃ自分も単調だし、一緒に参加している人間もいつも同じ画面じゃ単調だろうし、せっかくテレワしているのにこれじゃー、毎日オフィスに通勤しているのと変わらないだろうと思うから。
それに幸い僕が暮らしている京都は歴史が長いだけあって歴史的建造物やそれにまつわる風景に触れることのできる場所が数多くあります。これを活かさない手はないなって思って、朝から今日は何の日だっけ、どこに行こうかなと考えながらGoogleマップを眺めるのでした。

前置きが長くなりましたが、そう、今日は二・二六事件の日ですね。五・一五事件と並んで高校の歴史教科書では太字、資料別刷り。この国の近・現代を語るには事欠かない事件かと思います。何とかこの事件に関連した場所に行きたい、そこから朝会(あさかい)に参加しメンバーにもその場所を分かってもらいたいと考えたのですが、考えたのですがどうも思いつかないのです。

ここ京都と何か関係があるかというといくら記憶を辿ってもありません。困ってしまってGoogleさんに、”二・二六事件 (京都市 OR 京都府)”とたずねても何のヒントも得られません。舞台が日本の政治の中心東京であったからでしょう、京都との関係は何もでてきません。

ここで少し二・二六事件を振り返りますと、これは軍事クーデターですね。そして未遂です。そういう意味では今月1日、ミャンマーで起きたのも国軍が起こしたクーデターということで同じ。こちらもデモ隊の中に犠牲者が出てきて緊迫度は増してきてます。国軍は追い詰められてきているようですがまだまだ何があるか分からないですね。二つのクーデター、同じ軍事でも中身はまったく違います。

当時の日本は第一次世界大戦の好景気とその終戦からの反動で一気に不景気に襲われ、脆弱な金融システムから巻き起こった金融恐慌が人々を不安に落とし入れ各地で取り付け騒ぎなどもおきていました。そんな世情のおり今度は首都東京を1923年に関東大震災が襲います。ついで1929年、やっと震災からの復興かと思ったその時に遠く海の向こうウォール街で起きた世界大恐慌に巻き込まれます。これでもかと言わんばかりに続く自然災害、経済恐慌に国民は疲弊しきっていた時期でした。そんな社会情勢の中で起きた二・二六事件は1936年(昭和11年)、今から85年前のことでした。

今のコロナ禍もそうですが、こういった不況は一番弱い者を襲います。襲った先は地方の農村、漁村でした。

クーデターの中心人物と言われる陸軍若手将校の年齢は30歳前後。彼らはいわゆる隊付き将校ですから、オフィスで作戦を練ったり政治をやったりではなく、部下と共に戦地に赴き戦いを共にするもの達でした。そしてその部下には地方出身者が多く、彼らから当時の農村漁村の窮状、自分の親兄弟の悲惨な境遇を聞かされ次第に憂国の念を抱いていきました。情に厚い人間ほどこのままではいけない、何かが間違っている正さねばという思いが募っていったのだろうと思います。

そんな彼らが襲撃の対象とした政財界の要人は、当時の首相の岡田啓介、父は「福井藩士」。
内大臣であった斎藤実、父は「仙台藩士」。
当時は侍従長を勤めていた鈴木貫太郎は和泉国の生まれですけどそこは「下総関宿藩」の飛地だとかで、そうなるとこの方も基本的に関東の方です。
ダルマさんと呼ばれて国民から親しまれた大蔵大臣高橋是清は東京出身ですが「仙台藩士」の養子となっています。
貧窮のために小学校を中退せざるを得なかったけど、努力努力の人で陸軍大学校を首席で卒業し、当時は教育総監を務めていた渡邉錠太郎の出身は「愛知県の小牧市」。

こうやって襲われた側を見てみると関東や東北出身者で京都との関係はどうもうすいのです。

一方、クーデター未遂の中心人物と言われる野中四郎陸軍歩兵大尉、安藤輝三陸軍歩兵大尉、香田清貞陸軍歩兵大尉、 栗原安秀陸軍歩兵中尉などのいずれも30代初めですが、特別京都にいわれのある人々ではありません。また、彼らをクーデターへと突き動かし、青年将校の思想的背景になった「日本改造法案大綱」を著した北一輝は、新潟県佐渡の出身でした。

北一輝や西田税などの思想に共鳴した彼らが口にしたのは「明治維新」ならぬ「昭和維新」という言葉でした。もう一度、天皇を中心とした国家を作り上げ巷にはびこる不正をなくし不平等を改め困窮にあえぐ人々を救うことでした。大義はそこにありました。若い、とにかく若い。若いからこそ抑えがたい情動があったのだろうと思います。そしてその若さつながり、維新つながりで登場するのは、明治維新を前に志し半ばで散っていった吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬。
そして、維新を成し遂げた明治の元勲と呼ばれる木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛。当時30代、40代。ほんとに若い。

そう、ここで繋がったのです、京都で維新と言えば、明治維新と言えば江戸の世に終わりを告げる大政奉還の舞台となった二条城だ!

少し思考に時間掛かってしまいましたが、ということで今日の朝会(あさかい)は二条城前からでした。

と言っても僕もそうだけど二・二六事件も日本史の時間に習い、たまにテレビのドキュメンタリー番組で見る程度で何せ85年も前のことなので、朝会(あさかい)に参加しているメンバーはほとんど20代か30代、僕よりも今日という日に対する実感はないだろうな。新聞もテレビもこの事件を伝えるものはなかったように思います。

でも、だからこそ、二条城前で今日の朝会(あさかい)やったことの意味があるんじゃないかなって自分で思います。

戦後、昭和天皇は忘れられない出来事を2つ挙げているそうです。一つが終戦の時の自らの決断、320万のむこの命が失われました。
そして、この二・二六事件での決断、共に国を思い、親や兄弟を思っていた人たちが立場の違いからか命のやり取りをし、その後日本は戦争への道をひた走りに走ることになりました。

晩年、天皇は、毎年今日の2月26日を「慎みの日」とし、ひとり静かに過ごされたのだそうです。