私たちの会社では次のような方を募集しています。
A.当社が掲げるはたらき方に賛同する人。
あるいは読んでみてちょっと興味を持った人、或いはナニ言ってんだ、お前はアホかと思った人。
B.年長者は年少者を教え導くべきと考えている人。
つまり、人としてこの世に生を受け、社会の恩恵を受けながら生きているのだという自覚があれば当然のごとく有しているであろう次の世代への意識のある人。
C.年少者と言えども、へたに上司や先輩に同調しない人。
年長者といえども常に正しいわけではない。しかし、組織や社会においては、上司や先輩に気を遣わなければならない場面は多く出てくる。かといって正しくもない他人の考えに惑わされることは愚の骨頂。自己を貫くことは難しいけれど、がんばって立ち向かっていく人。
D.ユニヴァーサルな人。
なるだけ自分の手元や足元は見ない。初めて自転車に乗る時、平均台を歩く時、注意されることは近くを見ないで遠くを見なさい。人は自分が見ている方向に向かって知らず知らずのうちに歩いて行っています。手元や足元ばかりを見ていると先に進めないだけでなく、平均台から落っこちてしまいます。遠くを見ましょう、ずっと先の世界に向かって歩いていきましょう。そこにはユニヴァースが広がっています。
E.努力する人。
これ、人生はこれに尽きます。どんな素晴らしい才能があっても努力をしない人の結末は哀れです。たとえ才能はなく不器用であっても、いずれきっとそれは実を結ぶし、あなたの努力はきっと何処かで誰かが見てくれています。
では、なぜ、努力って必要なんでしょう、どうして努力すべきだと多くの人は言うのでしょうか。
それはですね、僕は思うにですね、努力すると今までにない世界が作れるからだと思うんです。一つひとつハードルを越えていくことで自分も成長し、成長した自分がまた何かを越えていく。そういった先にこそ新しい世界が開けているからだと思うんです。
F.メールの上手な人。
感性:顔も合わせたことのない人からのメールを読んで、その人の社会的背景から容姿や癖に至るまでプロファイルできる感性。
技能:顔も合わせたことのない人に、自分の用件や希望を適切に伝え、相手の心を動かすことのできる技能。
こういった感性や技能を合わせ持つ人を私はメールが上手だと評価します。
しかし、一般的には件名や署名を忘れてはいけないとか、適切な文字数で改行するようにとか、敬語を使いすぎてはいけないとか、返信はなるだけ早めにするなどをメールリテラシーと呼んででいるようですが、それは最低限のマナーと言ったほうがいいと思います。最近は新卒の方々の就職活動において、大学側が就活支援の一環として、メールでいかにコミュニケーション能力を高めるかなんてことを盛んにやってますが、これはかなり怪しいし危ないと個人的には思っています。彼らから受けるメールの多くに自分がありませんから、つまり感性が欠如し技能が足りていない人たちです、残念ながら。
G.本を月に二冊以上読んでいる人、或いはこれを機に読んでみようと思った人。
毎日の業務に追われると本を読む余裕はなくなってきます。毎日一生懸命働いて、会社のためにと、家族のためにと思い働いてきて、気が付いたら自分という者に投資をしてこなかったがために、会社を辞めた途端、今までの地位を失った途端、自分の無価値さに茫然自失として立ち尽くす方がいます。(まさにわたくしです。書いててハラハラします。)
愛するマハトマ・ガンディーのことばです。
“Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.”
「明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。」
H.本ばかり読んでいてもダメだ、精神と同様に肉体も鍛えなきゃダメだと考えている人。
精神を思考と言い換えた場合、思考の愚鈍さに比べて肉体はその反応の速さが特徴です。また、火事場の馬鹿力と言われるように思いもしない力を発揮するのも肉体の特徴です。そして、精神と肉体は独立したものではなくお互いにフィードバックし合う関係でもあります。
当社では、別の意味もあるのですが、5Fの職場までなるだけ階段を使うことを社員さんにはお願いしています。
ついでに別の意味を上げると。
環境負荷を意識し化石エネルギーのようなものは次の世代、未来の子どもたちのためにとっておきましょうが一つ目。
たかだか50キロか60キロの自分の肉体を10メートルかそこら上下移動させるのに一体どれだけのエネルギー使うのよって。
そして、ボタン押してエレベーターを待っている時の人の顔がどうもアホっぽい。これが、二つ目。
これは私の偏見に満ちた観察結果なのですが、エレベータが降りてきたり、上がってくるのを待っているときの人の顔ってなぜかアホっぽいんです。理由はあまりよく分からないです。意味も無く表示される階数を見上げたりしているからでしょうか。
その姿は隙だらけなんです。企業戦士がこれで良いの?と尋ねたくなります。もうオフィスに到着しているわけですから、もっと言うと家の玄関出たときから戦場モードに切り換えてもらいたいわけです。
戦士がそんな隙だらけの姿見られるとまずいわけで、そのためにも階段使った方がいいんじゃないのかな、です。
I.遮二無二に働く人。
こう書くとブラック企業と言われそうですが、人生において仕事に没頭するという一時期はあった方が良いと思います。仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切ったりするのは人生がもったいないし、そう見られている仕事がかわいそうな気がします。
もしも、たとえここに賭けてみたいといった気持ちがあったとしてもそうならない職場であれば、それは会社や仕事内容にわに問題があるのだと思います。
そんな場合には、一度きりの人生しかない自分のためにも、あなたの力を待っている社会のためにも転職をお勧めします。
J.アホな人。
これは難しい。
本を読めば知識は身に付きます。齢を重ねれば智恵は身に付きます。
社会は学校制度を設け、そういった人材育成に努めます。
だけど、アホになるための術(スベ)は学校でも社会ででも誰も教えてくれません。なぜならそれは絶えず自己を見つめることでしか到達できないからです。
以上です。一つでも当てはまった方はぜひご応募ください。
因みに、上にあげたA~Jは私自身の目標でもあります。
株式会社Dai(2014年4月1日より新社名) 代表取締役社長 木脇和政
この社員募集案内はタイムスタンプを見るともう今から10年近く前の投稿のようです。つまり、10年近くにわたって私たちはこのような仲間を募集してきたことになります。ただ、ここにきて一ヶ所だけ訂正しなきゃって思えるところが出てきました。
それは、「G.本を月に二冊以上読んでいる人、或いはこれを機に読んでみようと思った人。」です。
理由は言語生成AIであるChatGptの登場によります。ChatGpt3.5がリリースされたのが2022年11月頃、そして4.0の登場が今年の3月頃ですから、まだ一年も経っていないのですが、これは私たちの価値観を根底から覆す存在であると日々実感しています。特に知の部分です、知識であったり知性であったりです。
インターネットの登場では知識の価値や無意味さが問われたかと思います。ネット上の膨大な情報は個人の知識をはるかに凌駕するものであったので、インターネット以前のような博学的知識にはそれほどの価値はなくなったかと思います。知っていることよりもその知識を使っていかに深く考えることができるかに価値の比重は移っていきました。
そして、今、今度は知性に対しての価値も問われかけているのだと思います。
人類は、その誕生の時より今に至るまで進化を続けてきたわけですがその進化がことばによってもたらされたものであることは誰も疑う人はいないでしょう。
最初は話し言葉だったのが文字の発明により世代を越えて知性が受け継がれていくようになりました。それが中国の木版技術やグーテンベルクの活版印刷によって、大量に記憶できるようになりそこから知の爆発が起きたとも言って良いでしょう。そして、インターネットです。今度は情報が大量にだけでなく瞬時に伝わるようになっていきました。
でもこれらは、どこまでいっても18世紀に起きた産業革命の延長線上でしかなく、それは身体の延長でしかありませんでした。しかし、今起きているのは脳の拡張でありもしかすると代替かもしれません。
さて、あなたは誰ですかと問われたときにそれは身体でしょうか脳でしょうか。どっちだと問われると脳だと皆さん答えるでしょう。その脳ができあがってしまいました。しかも私たちの脳の容量は決まっているのに、彼らはもしかすると指数関数的な成長をするかもしれません。
早晩、本を月に二冊以上読んでいることに意味はなくなりますし、本を書いたり本を出版したりということに意味が無くなるはずです。彼らは言語生成AIです。活字だけでなく絵画や音楽も生成していきます。なぜならそれらも言語によって概念化されているからです。セザンヌ風の絵画もセザンヌ風ピカソの絵だって描けちゃいます。
テクノロジーの進展具合を考えたら、詩歌や短歌、俳句のような韻文形式のものはしばらくは残り続けるかもしれませんが、人類がいつまでその創作にエネルギーを注げるのかとなると疑問です。
私たちはますます、自分とは何なのかの根源的な問いに向き合うようになるのでしょうね。
2023/06/8追記
逆にこういった方は難しいなっていうのも正直に申し上げたいと思います。
私たちの会社へのエントリーに際しては、何かひとつ会社に対して質問をしてくださいとお願いしています。 会社への疑問を自由に質問していただいて良いですし、 事前に疑問を解消していただきたいので、ぜひ質問をしていただきたいのです。
ですが先に答えをあかしちゃうとこんな質問をされる方は難しいと思ってます。
1.貴社の離職率はどれぐらいでしょうか。
2.貴社の評価基準を教えてください。
1にしても2しても、その方は今の会社で決して報われていないだろうなという様子が透けて見えます。きっと今の職場では辞めていく方が多かったりするのでしょうか、今の職場ではご自分は正しく評価されていないとお考えなのではないでしょうか。
そこら辺が推測されます。
それはもっともなご質問だとは思います、誰しも安定して働きたいという気持ちはおありだと思います。会社としてもそれを願います。だけどそれが唯一の質問になってるのはどうかなと思うんです。
なぜならばそれらに答えは無いからです。答えようがないからです。
まず1番の離職率に関して言うと、社員数1000人以上であってもなかなか正確な離職率というのは求めにくいと思います。そしてその離職率よりも離職の理由の方が大切なのであって数字ではないと思うのです。
次に評価基準に対してですけどもこれも社員数が多ければ一定の基準というのを設けなければこれは逆におかしくなってきますから一定のものはあるかとは思います、しかし一律に評価を決めていこうとするととても細かい基準を作らなければいけません。
参考までにですが私たちの顧問である公認会計士の方がよくおっしゃってることですけども、その方は大企業から中小零細まで見ておられますが、評価基準を細かく決めれば決めるほど、その会社の業績はあまり振るわなく、かといってそれで決して社員が満足をしていないそうです。そしてせっかく時間とお金をかけて細かい評価基準を作ってもそれはほとんど役に立たず廃止してしまうこともよくあるそうです。そんなもんだと思います。
だけど新しい職場を求められる方はきっと私を評価してくれるところがあるに違いないあるいはきっとそういう基準が正しい基準があるに違いないと思われるのだと思います。ですがそれは幻想だと思います。
偉そうに 聞こえてしまうかもしれませんが、評価基準は外に求めるのではなく自分の中に持つべきだと思います。
2023/06/24追記
J.アホな人。
で考えさせられる事件が起きました。
「株式会社ビッグモーター」による数々の不祥事です。修理のために持ち込まれた車にわざと傷をつけ、保険金を不正に水増して請求していたことなどです。まだ全容は明らかになっていませんが、社長や副社長の専横に対して多くの従業員が罪の意識をもちつつ加担していたという事実です。これはともすると従業員が自分の頭で考えず自分の心に従わず、会社の命令や周りの雰囲気に惑わされアホになっていたように見えます。だけどこれは自分の考えを持たないアホです。
J.アホな人。
たとえ周りがどうであろうとも目先の地位や金に惑わされることなく自分の考えに素直に従い生きる人。ともするとこう言った人もアホに見えます。
しかし、中身は全く違うのです。
2023/08/07追記
Comment
コメント一覧 (4件)
ありがとうございます。
突然のコメント失礼申し上げます。
上記中、5つくらい私も大同意でございます。
その他は中同意くらいでございます。
50歳を超えて、そんなレベルでの自らに対し、あるいは世の中への理解の仕方で良いのか?と自問自答する毎日でございます。
「J」に関連してもう一つ。
踏み外したり、落っこちたりしたところから立ち直る術も、社会も誰も教えてくれません。そういうときの自己の見つめ方は、更に難しいように思えます。
まだまだ修行が足らないと自問自答する今日この頃でございますです。
でもこの要件全てを網羅する人ってなかなかおられないですよね。
とても難しいと思います。
特に最後のJの項目。
アホな人っていうのは、基本の型を知っていないとアホという崩しはできないから
本当に年を重ねないと、もしくはすごく濃い体験を重ねないと難しいと思います。
又三郎さん、コメントありがとうございます。
はい、アホな人っていうのはほんとに難しいです。
とても真面目にそれを考えていくと、ある意味自己犠牲なんですね、犠牲って言葉が適切でなければ利他の心といいますかそういったものをとても必要とされると思います。
自分というものを顧みない、自分と社会とを一体化していく、なかなかできないですね。
ただ、もう少しリラックスして簡単に考えると、昔から世の中を変えていくのは、
「よそ者、若者、ばか者」
て言われますでしょ。
よそ者はそこの掟や価値観が分かりませんから違うこと間違ったこと、お点前に反したことをやりますね、若者はそもそも社会経験がないですからこれまたそこの価値観に合わないことをやってしまいます。つまりよそ者や若者はそれだけで、世界を変えるだけの力を持っているわけです。
それに対して馬鹿者というのは、上に挙げたように努力して通り一遍の価値観を否定していったり越えていくということが必要になってきます。そうすると一見それは外から見ているとバカ、アホなんですね。
私たちの会社はどこまでいってもベンチャーですから、答えはどこにもありません。
誰かが答えを示してくれるわけでもありません、自分たちでこれなんじゃないかと絶えず思考をしながら進んでいかなければなりません。
その時、既存の価値を当てにしたり社会に忖度をしていたら何も見つからないですし、私たちの存在価値がなくなってしまうのです。
記事を紹介していただきありがとうございました。
Gの「自分の無価値さに茫然自失として立ち尽くす方がいます。」は胸に突き刺さりました。
うまくいかない時に悩み、考え、落ち込んだ時によく思いました。「不安」になればなるほど出てくる感情なのかと自分では思っています。