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自然に和するはずなんやけど。

青々とした稲は美しく力強い。
青々とした稲は美しく力強い。この実りを収穫するまでには水利の調整、作業の分担など村人全員の共同作業が欠かせない。村八分になったらここでは生きていけない。共同体は力強いがそれだけに生きづらさも生む。

 

「和而不同」

和すれどしかして同ぜずと読むのでしょうか。

論語の、「子曰、君子和而不同、小人同而不和」これの前半部分がよく取り出されますが、全体を書きくだすとこのような感じなのだそうです

「子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」

孔子さんが言わはりました。

君子、まー偉い人は和するけど、つまり人と協調はするけど、人に媚びたりその場に流されたりすることははしない。つまりちゃんと自分の意見を持っていてそれと合致していれば、合わせるし協調する。しかし、間違っていると思ったら頑として合わせない。
一方、つまらない人物、つまり小人は自分自身の意見がないために、人に媚びたり流されたりはするが、それはその場だけのことだから、人と協調しているわけではない。
こんな小人になったらあかんよ、君子を目指しやと言っているのだと思います。

和という言葉が出てくると大抵の日本人は、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子を思い出すのではないでしょうか。それほど日本人はこの「和」という字が好きで、そこから忖度なんていう今ではマイナスイメージとなった行為も自然と出てきたりしましたね。

因みに私の名前は和政。

ちょっと話しがそれました。元に戻すと、最近この「和而不同」を声に出したくなるようなことが多いんですね。

組織論の話しに持って行きます。

そして、僕はこの言葉をもっと拡大解釈というか、すると、君子というのは何も特別な存在ではなくごくごく普通の人間のことではないのかなと思うのです。つまり、人は元々は和するものではないのかと。

​なぜなら、人がそれぞれ持ち合わせた道徳に従って人生の活動を行えば自然と和していくはずなのです。良いものは良いし、悪いものは悪いというのは共通して存在しているのであまり合わせようなどと思わなくとも結果として和します。そこに共通の言語とも言うべき倫理的価値観が横たわっているからです。

しかし、組織の力学はそれが発揮されるのを妨げるかのように働きます。いわゆる同調圧力を生み、特に新人の子などは容易にこれに絡め捕られていきます。失敗してはいけない、周りに迷惑を掛けてはいけないという生真面目な性格が、同調へ同調へと流れていきます。

業務内容もまだ十分に分からず、周りの先輩はそれをゆうゆうにこなしている様を見せられると、それに合わせないなどは、よほどのひねくれ者か、自分或いは自分の存在意義を持った強い精神力の持ち主でない限り不可能です。

本来、和して同ぜずであったはずの心が、同じて和せずに変化していきます。

そして、彼、彼女たちはやがてそこに取り込まれていつの間にか同調者側のメジャーグループに属するようになり、被害者であったはずが今度は加害者の側に回っていきます。

これは、いじめの構図と何も変わりません。

同調しなければマイナーリーグに落ちてしまいます。決して落ちないのに落ちると思い込んでしまってる。

では、会社はそれに対して用意はできているのか、いわゆる「心理的安全性」などの失敗を許容する文化やシステムはあるのか、そもそもお前自身ははできているのか、孤高の人たり得ているのかという自問は常につきまといます。

全くできていません。

ただ、そこに向かっ​​​​て歩むのみです。試行錯誤の日々です。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政