福島県いわきから、初めて自分のお金で買ったもの。

”辛いときにはこの人の生き方を見てください。”と私たちのアサカイで語っている方は、市立記念文学館学芸員のHさん。
撮影場所は入り口を入ってきてすぐのところ。右側にはシンペイに関係した展示室。
そして、Hさんが語っている背景、美しい山並みのその先にシンペイの生家がある。”辛いときにはこの人の生き方を見てください。”とはHさんの言葉。
僕は、基本的にアポイントはしないのです。アポ取っちゃうと身勝手だけど相手の時間も拘束するし自分もそれに拘束される。そしてこれは身勝手ではなく用意されたものはつまらないから。人はいつも何かを考えているものだと思う、自分の何かを中心に 何かを考えている。
だからそこに何かの刺激があれば素直に反応してくれるんだけど、用意されちゃうとそうではないものがくだらないものが周りを固めてしまう、
だからってわけでもないけどアポイントは取らない。と偉そうに言いながら本当は面倒なのと断られたら嫌だなってのだったりします。
学芸員のHさん、急にお話しお願いしてすみませんでした。でもメンバーからは今年のベストアサカイですねって言ってもらえました。
ありがとうございます。

ー 初めて自分のお金で買ったもの。
人にはそれぞれあると思うんです、ちょっと時代が違うとは思いますが、自分のお金で最初に買ったものってよく覚えてるのではと思います。お小遣いもらって貯めて何に使おうかって昔はそういう時代だったんですけどよく覚えてます。 私の場合には中学校に入ってからすぐに配達のバイトを始めたので、多分その給料で買ったんだと思います。

初めて買った本、初めて買ったLP「 (LPがストレートに通じると思ってません)、初めて自分のお金で買った服、そして、初めて買った詩集が「草野心平」のそれでした。タイトルあまり覚えてませんけど、いまだにその3つのアイテムの手触りのようなものは覚えていますし、 それらを手に取ってカウンターにまで持っていってポケットから財布を取り出し店員さんに渡したその風景も覚えています。今は、みんな手元にはありません。

だけど、いまだに残っているものがあります。草野心平の詩集を読んでからは自分の文章にがやたら多くなったことです。もう今ではすっかり習慣化していて言葉の後ろに丸がないと気持ちが悪いので、このブログのタイトルにも丸をつけちゃいます。タイトルに丸を付けるのは意味がないしSEO的にもマイナスって記事を読んだので一時期付けないようにしてましたが、やはり気持ち悪いので最近また復活です。

いわきはその草野心平のふるさとです。記念文学館がいわきの西小高い山の上にあるというのを聞いて、明日のアサカイはそこだ!と決めてみたは良いもののでやっていくには途中で雨も降ってきたりして小高い山もとても高い山に思えました。いわき市内からは一時間以上かかってしまいました。

おかげで、社員の一人が今日のアサカイって今年のベストアサカイですねって終わり際に言ってくれました。嬉しいなぁ。ま、僕の自転車の漕ぎもありますけど、そのほとんどは学芸員のHさんによるところですけどね。

もう一つが、草野心平は私にとっても上の世代なので私たちの会社のメンバーなんて名前すら知らないだろうと思っていたら、今は、小学4年生の教科書(光村書店)に草野心平の代表的な詩である「春のうた」が出ているので、ご存じのお母さん方もいたというのが大きいですね。

では、その「春のうた」
心平の詩の特徴は独特の句点ともう一つはの多用です。これについては同じ東北の出身である宮沢賢治にも通じるところがありますね。そして、少し逸れますが賢治は生前は今のように世に知られる人ではありませんでした。その非凡な才能を見いだしたのがこの草野心平であり彼が同じ詩人仲間の高村光太郎らに広めたことによって今のような賢治像ができあがったのだとか。二人は直接の面識はなくただお互いの詩作を通じてお互いを認め合っていたのだとか。

さて、句点の解説です、
それぞれの文が句点で終わることで、一つの意味をもった独立した塊になり、詩はその塊の集合体なので全体が豊かさをもって読者を包み込むのだそうです。

春のうた        草野 心平
  かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。
  そのはじめての日のうた。

ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。

みずは つるつる。
かぜは そよそよ。

ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。

ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。

ケルルン クック。
ケルルン クック。

いかがですか?
童心にかえって聞いてみると子どもたちのキラキラした目が思い浮かびませんか。
もう一つの特徴であるオノマトペについては、言語学者の説によるとこれは東南アジア由来の言語に多いのだそうです。私たち日本人はどこからやってきた論にも通じるものがありますが、ご先祖さまがあちらからやってきたと考えると、このオノマトペの響きには僕らはDNAレベルで反応しちゃうのも自然ですね。
私たちの会社のメンバーはとにかく優秀な方が多いのですが、中には文章書くのが苦手であったり、どうにも書けない人がいらっしゃいます。そういう人には僕はメールの中で少し、擬音語や擬態語つまりこのオノマトペを使ってごらんとアスします。通常の中ではこれは使いにくいものです。ですからそれに慣れた人は オノマトペの対極とも言えるがやたら多いのです。彼らのメールを見ると漢字のオンパレード。今のコンピューターの力を借りればどんな難しい言葉だって漢字にできてしまいますからそれは決して知性とはイコールではないのですけどね。
しかし、漢字は権威付けに一役買ってくれるのでビジネスの現場では気味悪いぐらい多用されます。
”忘れました。”で良いのに”しておりました。”中身一緒やーんといつも思います。ですからこれはうわべだけの言葉なんですね。その点オノマトペは僕らの感性になんとなく寄っている、心からの言葉になる。だからそれを頑張って使ってごらんとアドバイスします。

さて、僕は同じカエルの詩でもこっちには句点もオノマトペも全然ない(原文には句点は施されてないようですが出版物によっては入っていたりします)のだけど、切なくていいなー。

さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずいぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とったら死ぬだらうね
死にたかあないね
さむいね
ああ虫がないてるね

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