2022年1月、Blogタイトルを”三智に学ぶ”から”コーラルワークにしました。” ボタン

若者田舎者馬鹿者。

たばこは販売いたしません!
この言い切りが心地良い。
当たり前のことなのに商売となると客に媚びた表現が目につくので新鮮だ。

革命や維新のような、世の中に大変革を起こす者は、多くの場合、”若くて、地方出身者で、あまり賢明とは言えない者たち”だ。

いわゆる、「若者、田舎者、馬鹿者」この三条件を満たしたものが社会を変えていく。理由は言うまでもないだろう。

三者に共通しているのは、今の常識や価値観を理解していないか理解できない者であるということだ。

若者は大人の社会やルールをまだ知らない。会社にあっては年少者ということになるだろう。
田舎者とはいわゆるよそ者のことであり、いわゆる都会のマナーを知らない、会社にあっては新入社員や他社から転職してきた者たちのことだ。
馬鹿者はバカ者。好意的に解釈すれば常識にとらわれない行動をとる者と言えるだろうが、常識を疑う者とも言える。会社にあっては時に周りから顰蹙(ひんしゅく)をかってしまうような人間だろう。

こういった者たちでなければ世の中を変えていくことはできない、難しい。
一瞬のきらめきが彼らには存在するのだ。実に一瞬なのだ。

歳をとればエネルギーは失せ、もう田舎者よそ者ではなくなり、いつの頃からか常識をわきまえた人園になっていき、気がつけば守らなければならないものが体中に張り付き身動きも取れなくなり革命などは他人事になってしまい、いつの間にか現状を守る側に立っている。

都会に出てきた若者は、全て田舎者であり若者だったはずだがそもそも馬鹿者はほとんどいない。

そのバカになれなかった者も10年もすると若者度はなくなる、その時彼らはどうなるのか。

もう若者ではない、田舎者でもない、そしてバカになることもできなかった分別をわきまえたかのような彼らはどこに行くんだろう。

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Comment

コメント一覧 (1件)

  • と、書いてみましたが自分はというと自分で書いたとおり馬齢を重ねるだけで全くバカにはなれませんでした。
    そういう時代でもないのだろうと思います、表現が。
    これって今はやりのことばで言うと多様性、ダイバーシティのことだと思います。

    若者:社会の常識は知らないが何が正しいかは知っている
    田舎者:場のルールは知らないが自分の価値は知っている
    バカ者:知らないことを恐れない勇気を知っている

    真に多様性のある社会とはこのような精神の涵養をうながし社会のあらゆる階層の文化レベルを高めてくれるもののことではないでしょうか。

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