あの渋沢栄一でも国が違えば。

今日は久しぶりに画像生成は使わず生
しかし、このためにわざわざ新一万円札を借りてきたのでした。

AL:休日
【8月25日付総合3面】栄一を嫌いな隣国


今日の朝刊から、分かれる評価渋沢栄一と韓国

今日の記事ピックは総合3面のコラム「風見鶏」から。
*日経にはいくつかコラムがありますが、おそらくトップ面の「春秋」はにおける「天声人語」のようなものでこの「風見鶏」は政治、経済コラムという位置づけでしょうか。
さて、そこに書かれていたのは渋沢栄一に対する韓国の評価についてでした。わが国では渋沢栄一はお札の顔、しかも最高額紙幣の顔になるくらいですから「近代経済の父」として知られ、その功績は広く認められているといっていいでしょう。実際、私も当ブログで何度か取り上げています。しかし、韓国における彼の評価は必ずしも肯定的なものではないようです。記事では、彼が主導した経済改革が日本の成長に寄与したことが、韓国側では複雑な感情を引き起こしていると指摘されています。渋沢が構築したシステムが日本にとって成功をもたらした一方で、韓国ではその影響力がどのように映ったのかが問題とされているのです。

日本の近代化を支えた偉人として称賛される一方、韓国では異なる文脈で彼の役割が捉えられています。同じ歴史的人物であっても、その評価は視点によって大きく変わるなーなんてことをコラム読みながら考えていました。

伊藤博文、豊臣秀吉もだいたい一緒かな。

こんな感じで歴史的な評価が国によって大きく分かれる人物として、真っ先に思い浮かべるのは渋沢と同じ明治の人、初代総理大臣の伊藤博文でしょうか。日本では近代国家の基礎を築いた「偉大なる政治家」として称賛されていますが、韓国では朝鮮半島を日本の植民地にした中心人物ですよね。
特に、1909年に伊藤博文が安重根によって暗殺された事件は、両国での評価の違いを象徴していますね。日本では「偉大なる人物を失った悲劇」とされる一方、韓国では安重根が伊藤を暗殺したことが「独立運動の偉業」として捉えられ、彼は民族の英雄として讃えられています。同じ歴史的事件でも、国が違えばその見方は大きく異なります。

さらに、ついでに言えばもう少し時代を遡ってみると、豊臣秀吉もまた評価が分かれます。韓国行かれた方はよくご存じと思いますが評価は正反対ですよね。
日本では、毀誉褒貶はあるもののなきあと、その跡目となり出は百姓でありながら全国統一を成し遂げた「英雄」として(特に大阪や関西方面)されていますが、韓国では朝鮮出兵により、彼の評価は真逆ですね。日本ではこの戦役を「文禄・慶長の役」と呼び、歴史的な戦争として語られますが、韓国では「壬辰倭乱」という呼称で知られ、これは侵略戦争としての負の記憶を表しています。このように、呼称一つをとっても、歴史に対する認識の違いが鮮明に表れています。今でも、秀吉は韓国において侵略者として批判され続けており、この事件が両国の歴史的な見解の違いを象徴する例となっています。
*日本でも秀吉の起こした「文禄・慶長の役」を全面肯定している人間は少ないと思います、多分。年取ってやけが回ったんじゃないのなんてのも聞こえてきたりします。

はちょっと違うし未来への希望も感じるのです。

このように、歴史的な評価は国や文化によって大きく異なり、時には対立を生むこともあります。しかし、時が経つにつれて、こうした評価が変わり、互いに理解し合うことができるようになる例も存在します。その一例がマハトマ・ガンジーだと思うんです。

ご存じのようにガンジーは、では「非暴力による独立運動を主導した聖人」として非常に高く評価されていますが、彼の評価はかつてイギリスでは異なっていました。ガンジーの活動がイギリスの植民地支配に対する脅威と見なされたため、当時のイギリスでは彼を「一介の反乱者」として捉え、彼の運動に対して厳しい視線が向けられていたようです。そりゃそうですよね、ナニカッテニドクリツしとんねん、ですよね英国からしたら。

でも今はどうでしょう、時が経つにつれて、ガンジーの非暴力主義や人道主義が世界的に認められ、現在ではイギリスでもガンジーの業績が高く評価されています。こーんなガンジーを称える像がロンドンに建てられてます、しかも国会議事堂脇です。
彼の生き方や思想が広く尊重されるようになったからですよね。最初は異なる視点や対立があっても、やがてはお互いの理解が深まり、評価が変わることもあるのではと期待を抱かせる人物それがマハトマ・ガンジーなのではと個人的に思います。
インド国内でも宗教的対立は今でもありますがガンジーの名刺はどこにいっても人々は親しみを持ってくれましたし。

私たちが今直面している歴史認識の違いも、将来にわたって対話を重ね、相互理解を深めていくことで、同じように変わっていく可能性があるでしょう。歴史は固定されたものではなく、時とともに再評価され、新たな視点から理解されるものです。だからこそ、現在の違いに直面しても、未来に向けて希望を持ち続けることが重要なんじゃないかと、そのためにもちゃんと歴史を学びながら、共に歩む道を見つけていく努力しないとなと考えた休日の朝でした。

「猫に小判」とか表現したかったんだけど、生身の動物相手だとなかなかコーズもポーズも決まらないものです、NG写真ですが労作ということで。
  • URLをコピーしました!
目次