よりよく生きるため。

京都に春の訪れを告げる(たいまつ)。が荼毘に付される様子を再現した行事でもあり、釈迦の入滅した3月15日(旧暦2月15日)に行われます。京都三大火祭りに数えられ境内の3基の大松明に、護摩木の火を移した藁束を順に投げ入れ点火。激しく燃え上がる炎が空に登っていく様子を見ていると遠く平安の頃にタイムスリップしたかのような感覚になります。
清凉寺境内奥から。

あなたは何のために働きますか?と問われて一昔前であれば生きるためと答えた人が大半なのではないかと思います。

しかし今はどうでしょう。

今ももちろん生きるために働いてる人は数多くいらっしゃると思います、生きるために必死で働いていらっしゃる方がいらっしゃる事はわかっているつもりです。

しかし、正面切ってこのように問うた場合、多くの人が自分が生きるためというよりも家族を豊かにしたいからとか、社会を豊かにしたいからとか、未来の自分へのとかとお答えになるように思うんです。

それをひっくるめて言うならば、“生きるために働くというよりも、よりよく生きるため”に人々は働いてるんじゃないでしょうか。

そうであるにも関わらず、先に挙げた法定休暇的となっているように、今労働者を守っているは、生きるための法律になってるようです。

だけど、今、私たちが必要なのは生きるための法律ではなく、よりよく生きるための法律ではないでしょうか。
そこに大きな乖離が生じてしまっていて働きにくさを生んでいるのが今の労働環境なんだろうなって思ったりします。

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