昨日、7月18日は「京都アニメーション放火殺人事件」が起きてからちょうど3年目でした。もう3年が経ちました。しかし、まだ3年しか経っていないのでその時の様子はまざまざと思い出されます。
あの日、ニュースの第一報を聞いたとき、もくもくと立ち昇る黒煙の中継を見たとき、身の毛もよだつような恐ろしさ、えも言われぬ恐怖を誰もが覚えたかと思います。
痛ましい、ほんとに痛ましい事件でした。亡くなった方のお名前や年齢がニュースで流れるたびにその痛ましさはますます募っていきました。
その時からです、それまでも考えていたことではありますが、働くことの意味を強く考えずにはいられませんでした。できるだけ安全な建物へ働く場所は移動させなければいけないと考えました。どこまでいっても100%安全な場所、安全な建物などはないのですが、多少交通が不便になろうとも、より安全なところで仕事をしていただかなければならないと思い数カ月後には新しい建物に転居しました。
そんな経緯があったので、その年の末に新型コロナが中国で発生し、翌年には国内でも感染が見られ2月、3月頃には、これはパンデミックではないかという話になったときには、すぐに、遠くから通勤されている方を優先的に在宅勤務に切り替えていきました。そしてちょうど2年前の7月、この事件から丸一年が経過した時、私達は働き方を完全にリモートワークに切り替えることを決めました。
家が一番安心です。家族と一緒にいるのが一番良いんです。
これは誰しも思うことだと思いますが、それがとても強くなったのはおそらくこの事件が心のどこかに宿っていてそれを強くしたのではないかと今では思うのです。
この事件をきっかけに働くことってなんだろうってずっとずっと考えていたからだと思います。あの建物で亡くなった人たちは皆さん一生懸命仕事をされていて、クリエイターの方が多かったので想像力を膨らませながら夢中で仕事に向かわれていた方も多かったと思います。その時全く予想もしない事件に巻き込まれ、尊い命を奪われてしまいました。なんと残酷で無念なことでしょうか。
まだ思いが生々しくてその建物には近づくこともできませんが、かと言って今日のアサカイはこのままいつものように自宅から参加は違います。心が通常モードじゃないんです。
この今の働き方を考えなきゃいけない場所から参加しなきゃと思って当てもなく自宅を飛び出しました。ただ、車を走らせ、そのうち、私たちが働き方を考えなければいけないその場所に自然とたどり着き、時間通り午前9時からアサカイはスタートしました。
私自身に働くことの意味をもっと考えるようにと教えてくれた尊い命のご冥福を心よりお祈りいたします。
この日は、全メンバー向け発表として私たちの休暇制度である、「誕生日休暇」、「同居されているご家族の誕生日休暇」、「結婚記念日休暇」についての制度見直しのお話もしました。
この日からそれらの制度はすべて休暇であることはまちがいないのですが、その3つの休暇日に限っては アサカイへの出席だけはお願いしたいというお知らせでした。
理由を申し上げると、次のようなことになります。
私たちの会社は他社平均に比べると休暇は多い方です、年間130日以上あるかと思います。そして、この3つの休暇はそれらを増やすことに寄与しています。会社としては今後ももっと休暇は増やしていきたい方針ですから逆行しているように見えるかもしれません。 ただ、メンバーが多くなってくると休まれる方も当然多くなってきて、そうするとアサカイの場面で全員がそろうことがなかなか難しくなってきたのです。これは困りました。
特に誕生日休暇等は家族が増えるつまり子どもが誕生したりすると当然増えていくわけで、 おめでたいことではありますけども、やはり全員が揃わない日が多くなるのは困ってしまいます。
そしてここがミソですけども、これがもしリアルな出社であればアサカイだけ出てくださいと言ってもそのためだけに出社しなければいけませんでしたが、今はその必要はありません。むしろ休暇を過ごされているどこか海の近くであったり山の近くであったり自然豊かなところで休暇を過ごされているときにアサカイに参加していただければメンバーはその自然感すらアサカイに参加している人たちも味わうことができますからむしろ良いこともあるなとも思えたのです。
もう一つには、これらの休暇はもともとの制度の趣旨としては休暇を増やすとうのもあるのですが、家族誕生日休暇が典型なんですけども自分の誕生日よりも他者の誕生日を祝う心を大切にしたいと思ったからなのです。
自分が子どもの頃には自分が祝福されるのが嬉しかったと思いますが、大人になるにつれて自分の誕生日よりも周りの人のそれのほうが嬉しい感覚が増していったかと思います。その周りの人は今は家族ですけど家族は学校の一員、地域の一員、つまりは社会の一員ですから、家族を祝うことは社会を祝うことにつながっていくのです。
また、結婚記念日休暇は言ってみれば社会の中に2人で新しく世帯を作ったわけで、それもまた社会を意識するものであるはずです。
つまり、これらの制度は他者を思っていただくためのものであるわけです。
しかし、ここにきて少しそれが形骸化しているなとも感じたので、制度に少し手を加えさせていただきました。
2022/07/15追記
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