〜京の町人が語る、商いの変遷〜

一、応仁の乱に思ふこと

今よりおよそ五百五十年ほど前のことよ。
学校の教科書には「応仁の乱、1467年」と書いてあるらしいな。「ヒトノヨムナシ(人の世むなし)」っちゅうて、年号を覚えるそうじゃが、こちとら年号なんぞで戦の惨さを知ったわけやない。儂(わし)ら町人にとっちゃ、あれは数字やのうて、生きるか死ぬかの話じゃった。
この京の町も、昔ぁずいぶんと変わったもんじゃろうが、儂が知る限り、変わらぬもんもある。それは、商ひの心と、京の町人のしたたかさよ。
五十年、百年の話やない。何百年と続く商ひの歴史の中で、何度も町ぁ焼け、何度も商ひは潰れたが、そのたびに町人が立ち上がり、また新しき商いを生み出してきた。
応仁元年(1467年)の春、この御霊の社の前で、山名と細川の軍勢がぶつかり、都の火種がここから広がった。あれよあれよという間に、町は戦に呑まれ、儂の店も焼け落ちた。家財道具は灰、商ひの道具も無に帰し、あのときゃもう、商売どころか飯にも困る有様よ。
されども、町人は強ぇもんだ。焼け跡にゃすぐに市が立ち、また物を売り買ひし、なんとか生き延びた。京の町ぁ、どんなに戦で焼かれようと、商ひがある限り、必ず甦るもんじゃ。
ところが最近、なんとも不思議な商ひをする奴らを見かけるようになった。どこぞの商人が「びぃかあと(Bカート)」とやらを使い、遠くの客と商談をまとめとる。手紙も使わず、顔も合わさずに商ひができると聞きゃ、まったくもって驚きよ。
時代ぁ変わるもんじゃのう。されども、商ひに大事なんは、昔も今も変わらんはずよ。
さて、儂ぁもう少し、この新しき商ひの様子を覗いてみるとしようか。
二、町人の知恵と商いの心

戦乱にゃ何度も苦しめられたが、儂ら町人は知恵を絞って商ひを続けたもんじゃ。
この御霊の社の隅に「清明心の像」っちゅうのがあるのをご存知か。昔の宋の国の話で、大きな甕(かめ)に子どもが落ちたとき、ある少年が甕を割って友を助けたっちゅう話じゃ。清らかで明るく、誠の心を持つことが肝要ってことよ。
商ひもまったく同じよ。どんな乱世でも、正直に、誠をもって商うた者が最後に勝つ。安う仕入れて高う売るだけの奴ぁ、いずれ信用をなくして消えていくもんじゃ。売る側と買う側が、お互いのことを考え、長ぁ付き合うてこそ、ええ商売が続くってもんよ。
三、遠くの商い、近くの商い
商ひっちゅうもんは、もともと市(いち)で始まる。道ばたに品を広げ、人が寄ってきて、値を決めて、買うていく。昔も今も、それは変わらん。
けど、今の世では「びぃかあと(Bカート)」っちゅう道具を使えば、遠くの客とも顔を合わさずに商ひができるっちゅうじゃないか。
どんな道具を使おうが、結局、大事なんは「信用」じゃと。道具が進化しても、信用がなけりゃ、商ひは成り立たんもんじゃ。
四、新しき商いの形と「アサカイ」なる集ひ

さて、ここで妙なもんを見た。
御霊の社の境内に、何人かの商人が集まっておる。されど、みな手元の光る板(タブレット)ばっかり見つめとる。
聞けば、これは「アサカイ」っちゅうもんらしい。
昔の市のように、商人同士が集まり、情報を交わし、物を売り買いし、信用を築く。形こそ変われど、やっとることぁ昔と変わらん。
五、商いは人の心なり
「びぃかあと」とやらの道具がどれだけ便利じゃろうと、大事なんは、売る側と買う側が「人の心」を忘れんこと。
商ひっちゅうもんは、道具がどう変わろうと、人を繋ぎ、世を豊かにするもんじゃと。
それこそが、京の商人の魂であり、昔も今も変わらん商ひの真髄よ。
…さて、そろそろ儂も市に戻るとするかの。今日もまた、ええ商ひができますように。
室町の町人、ここに書き留む。
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