『牧野富太郎』Tell us your historical figure born in your home-town who you’re proud the most. 

彼女の発表を聞いていて牧野富太郎を調べてみると、彼は94歳と割と長命で亡くなっているらしいが、のように借金取りから追われているわけでまともな食生活であったとは思えない。
しかし、そこまで長寿であったのはそれも毎日のように野山を歩き植物採取に余念がなく人生が充実していたことと、何よりも彼が愛したのがリコピン豊富なトマトであったことらしい。
高知に行かれた方は街中のいたるところにトマトがとても豊富にある土地柄であることに気づかれたと思う。
そうだ、当社も社内の冷蔵庫にはトマトジュース欠かせないようにしよう!

私の出身は高知です。総務部門で働いています。

高知というと、土佐、そして坂本というのが定番だと思います。そんなことにあやかってか、高知空港は何年か前に「高知龍馬空港」と名前を改めたぐらいです。龍馬は全国区レベルの偉人なのだと思います。

それに比べると今回私が取り上げた「日本植物学の父」とも呼ばれている牧野富太郎は、高知県人ならみんなが知っている偉人ですが、県外の人にはほとんど知られていませんので、これを機会に紹介させてもらいます。
裕福な商家に生まれましたが、幼い時に父、母、祖父を亡くし、祖母に育てられました。
寺子屋に1年通った後、名教館(現:佐川小学校)に入りましたが、2年で中退し、大好きな植物の研究に専念します。
19歳で上京、22歳で東京帝国大学(東大)で、文献や資料を自由に勉強させてもらい、植物の雑誌を刊行します。また日本人として初めて学名を付けました。(ヤマトグサ)
小学校中退でありながら、その後、東京帝大の助手、教授と務め最終的には、理学博士までになりました。ただ、植物研究以外(権威や金銭)には無頓着な性格のため、色々周囲ともめ、圧力も受けたようです。
そんな中でも、94年の生涯で収集した標本は約40万枚。新種や新品種など1,500種類以上の植物を命名しました。
自分に尽くして亡くなった妻の名をとって「スエコザサ」と命名したことなど、人柄が偲ばれます。
また「雑草という名の植物はない」という富太郎の言葉は、昭和天皇もお使いになられ、富太郎が病気で臥せているときにアイスクリームのお見舞いを送られたというエピソードもありました。

富太郎は、典型的な土佐の いごっそう(反骨精神旺盛な人)だと思います。明治の初め中央に対して自由民権運動を起こしていった板垣退助も土佐の人間です。最近は元気のない高知県です。しかし、土佐の人間には長いものには巻かれろではない、正しいことは正しいのだとつらぬくいごっそう精神が流れていると私は信じていたいです。

牧野植物園は、桂浜にもそんなに遠くないので、高知に行かれた時には、是非お出かけください。
大人700円高校生以下は無料で、広大な敷地にレストラン、図書館、温室などがあり、大人も子供も楽しめますよ!

以上。

  • URLをコピーしました!

Comment

コメント一覧 (1件)

  • 牧野富太郎さんはこのブログを読むまで存じ上げなかったのですが、植物研究界において大きな功績を残され、また奥様を大切になさるとても温かいお人柄だというのが想像できます。牧野植物園は美しい桂浜にも近いということですし、是非足を運んでみたいと思います。
    高知を愛する筆者様に、一点だけ助言を申し上げたいと思います。
    トマトジュースは確かにリコピンなどの栄養素も摂取でき、手軽にトマトの美味しさを味わうことができます。
    しかし人間の身体がもっとも栄養を吸収しやすいのは、生の食材なのです。
    是非御社の冷蔵庫にはトマトジュースに加えて、生のトマトもおやつ感覚で召しあがれるよう置いてみてはいかがでしょうか。

コメントする

目次