『田坂善四郎』Tell us your historical figure born in your home-town who you’re proud the most. 

綱敷天満神社境内の「月賦販売発祥記念の碑」
神社が建てられたのは享保5年(1720年)6月、伊予松山藩主松平定英の命によるとのことだが、その歴史となるとより古く、菅原道真公が太宰府に左遷される途中嵐に遭い地元の人々に助けられたのがその縁だとか。
そんな由緒ある歴史を持つ神社の鳥居をくぐって本殿に行く手前、右手に折れたところに記念碑は建てられている。広い境内の真ん中ほど。気づく人も少ないかも知れないがはっきり書かれている”月賦販売発祥記念”と。へーー、だよね。
飛んじゃうけどこの流れの中から丸井グループが誕生し、それはやがてクレジットカードという今は当たり前の決済手段へと発展していった。全ては信用を元とした販売手法だがそれがここ愛媛県今治の桜井で始まったことはあまり知られていないことではないだろうか。

までは、日蓮、牧野富太郎、と一応日本史の教科書に出てきた人物でしたが、今回はいささかニッチです。私自身も知りませんでした。しかし、そのニッチな人物が話しを聞いていると今の私たちのとも大きく関わっていることを知ることになりました。

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僕の出身は、愛媛県今治です。クリエイター部門で働いています。

この世に貨幣が発明されるまでは、交易の手段はいわゆる物と物とを交換する物々交換だったことでしょう。そして、貨幣が発明されてからは、品物とそれに見合った価値の貨幣を交換することで、商業活動は大いに活発になったろうと思われます。

しかし、それでも交換のタイミングというのは、物と貨幣との同時交換が原則であり、品物を販売した後に、その数日後或いは数ヶ月後に代金を回収するという、いわゆる掛け売りの形態は世界でも日本でも近代に至るまではなかったようです。

一部、それなりの資産を有している大名家などに対しては、これも豪商と言われた今の「三井家」や京都を代表する「角倉了以」などは大名家に貸し付けるという形で色々な物資を納めていただろうということは想像できます。 しかし、一般庶民に対する販売で掛け売りが行われるようになったのはずいぶんと後世になってからのようです。

それが証明できるのは、今回お話ししたわが故郷の誇りに思う人物としての「」という人物が日本で初めて掛け売り、いわゆるを始めたということが歴史的事実として認められているからです。

明治28年(1895年)に日本で割賦販売が始まったという記念碑さえ故郷今治の綱敷天満宮境内に建っているのです。彼が、どうやら日本で初めて割賦販売を本格的に始めた人物であることは間違いないようです。

では、どうして愛媛県伊予という一見そのような商売とはあまり縁のなさそうな、言わば日本の一地方都市で始まったのでしょうか。 これは、歴史を遡ると色々と見えてきました。グングン遡っていくと日本人ってなんだろうってところまで行くので、歴史は実に面白いです。

アダムとイブが日本にいたとは考えにくいので、日本人はどこから来たのかというお話です。舟に乗ってどこからかやってきたはずです。

グンと遡って、史実であるかどうかさえ定かでないに出てくる神話の世界を見ていくと、日本人が海の民、いわゆる海人族によってその大本が形成された国家であることは恐らく事実のこととして見えてきます。

海人族が日本に渡来するルートは二つあり、大陸から朝鮮半島、対馬を経由し、九州にいたるもの。 もう一つは今のシナを起点としてそこから黒潮に乗って、台湾、琉球、奄美といった島嶼部を経て南九州に至るルートです。 それら二つのルートでやってきた人々が年代的な前後関係は分かりませんが、九州内で覇権を争い、やがて瀬戸内を通って淡路島などを経由し畿内に到達したのでしょう。

いずれにしても彼らは海の民であり、その操船術、航海術は優れた文化をもたらし、国家形成に大きな影響を与えたであろうことは想像に難くありません。

しかし、ヤマトに統一国家が誕生し、律令制がひかれると歴史の表舞台に海人の活躍が現れることはなくなりました。

次に、彼らが歴史に登場するのは、戦国時代の「村上水軍」という名前ででした。この名前は皆さんもお聞きになったことはあると思います。

彼らは芸予地方(広島と愛媛に囲まれた瀬戸内であり、陸側では因島や今治がその中心)を根拠地として、海賊行為により、力をつけ、冨を蓄えていきましたが、その後、豊臣、徳川へと政権は移っていき、泰平の世になるにつれ、彼らも海賊としての存在は難しく時の体制に組み込まれていきました。

そんな彼らが再び目覚めたのが、田坂善四郎に代表される伊予商人としての姿でした。 商人とは交易の民のことであり、品物を携え遠くに行けば行くほど、物の価値は高まり、いわゆる良い商売ができるわけですが、彼らは主に椀船と呼ばれる船に漆器を積み込み、瀬戸内海を通り神戸や紀州和歌山まで販売に行っていたようです。

田坂善四郎がはたして村上水軍の末裔であったのかどうかは分かりませんが、村上水軍が根拠地としていた今治をやはりその拠点として瀬戸内海を縦横に走り回っていた姿は、あたかも村上水軍の後裔であるように映るのではないでしょうか。

僕が興味を覚えたのは、いやこのタイトルで言うと郷土の誇りと思うのは、彼が果敢にリスクを取りに行ったことに対してです。

客の要望に応じて始めた割賦販売ではあったでしょうが、たとえ望まれたとしても、当時は割賦販売などというものが存在せず、その頃の漆器と言えばとても高価なものであったに違いなく、それを本拠地からは遠く離れて船で何日も掛けていくような土地の人間を信用して販売することはとてもリスクの大きなものであったろうと思われます。

彼はそのリスクを回避するために、従業員を客のところに何度も足を運ばせ念入りに信用調査をし、もし客が払わなかった場合にはどのようにするかなども入念に準備をし、割賦販売に踏み切ったようです。

それは大当たりし、最初は漆器だけだったものが、家具や婚礼品一式など、まとまって費用の掛かるもの、見栄などがあり、どうしても揃えなければならないものなどに広がっていったようです。これは、社内の推薦読書として回ってきてちょっと前に読んだ宅急便を始めたさんの「経営学」に書かれていることと同じようです。

彼にしても、個別配達、宅急便というものの需要があることは実感としてはあった、しかし、前例がなく果たしてうまくいくのか自信がなかったので、盛んに研究をし、調査をし、対策を立ててそのモデルに全生涯を掛けていったと書かれていました。

市場の声を聞き、前例がなくとも、そこに未来があると感じたら果敢に挑戦していく、昔も今もベンチャースピリットとはこのようなものではないかと思います。

そういう人物が僕と同郷の人間であると考えると誇りに思えます。そして、これは朝会()でも少し話しましたが、彼の起こした丸善という会社からは、その後、丸井、大丸などの百貨店が、そしてまたそこからセゾンカード、OMCカードなどのカード系会社が作られていきました。

いわゆる信用を担保にして、販売するという今では当たり前になったビジネスモデルを作り上げました。

B2Bソリューション事業のBカートでは決済手段を提供する会社との連携は数多くありますから、この「田坂善四郎」という人物は会社としても全く無縁の人物とも思えなくなってきました。

また、調べているうちに思わぬ発見をしたのですが、”伊予商人”と過去のドキュメントを検索してみると、以前当社に在籍していた**君が、20**/**/**に全社員に送った「BtoB決済特集の解説文」というレポートの中で今回の伊予商人に触れているのです。「田坂善四郎」にまでは言及してませんでしたが、信用販売とという切り口で解説してくれていました。

少し長くなりましたが、ベンチャースピリッツを持ち、今の会社の業務とも少なからぬ関係を持つ「田坂善四郎」を僕は同じ故郷の人間として誇りに思います。

以上。

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コメント一覧 (3件)

  • 「サイクリストの聖地」としてしられる瀬戸内しまなみ海道が開通したのは平成11年、また、つい最近の令和元年11月には、国の「ナショナルサイクルルート」にも指定された。
    https://www.mlit.go.jp/road/bicycleuse/good-cycle-japan/national_cycle_route/
    なだけあって、境内にも自転車に乗って文化散策という案内板があった。良いじゃん。
    ”わたしが旅するさくさく桜井”。良いじゃん。

  • 今治の街を走っていると、こんな風景によく出会う。「自転車新文化」を標榜しているらしい。日本では、自転車に乗ることができる人が約8割という調査結果があるのだそうだ。
    https://www.ehime-np.co.jp/article/news201805010004
    確かにね、訪問した国の中ではアメリカ、オーストラリア、中国を除くアジアでは自転車はあまり見かけない。オーストラリアではあまりに自転車を見かけないので最初の頃はカウントしていたぐらいだった。
    では、日本が欧州並みかというと台数では並んでいる気がするけど、自転車文化では完全に負けている。日本ではまだまだ道路は車優先だし、公共の乗り物、鉄道とかに地下鉄に自転車を持ち込むのは面倒だし憚られる。
    こちら、愛媛県にはがんばってほしいんだけど、実際に楽しんで走れるところというとしまなみ海道ぐらいなんだよね。
    でも、がんばってほしいエヒメ。

  • 今治市内を走っていて偶然見つけたカレーのお店。表からはやってるようにはとても見えない。日曜のお昼だというのに店内に客の様子はない。しかし、美味しそうなスパイスの香りだけは漂ってくる。迷ったら入るといういつもの精神でこれは9割方失敗するのだけど今回は大正解でした。こんな美味しいマトンカレーにこんなところで出会うとは。

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