自分にこどもが生まれてから、ずいぶんと写真を撮るようになった。いわゆる記念日の写真とかもとるわけだが、日常の写真がもちろん多い。そして、気付いたらわりと後ろ姿を撮っていた。前を向いているときではなく、後ろ向きを好んで撮っていたものだから、周りからはちょっと変な目で見られたり、細君からは叱責も受けた。意味がわからなーい、と。
恐らく、ずいぶんと昔に観たマルチェロ・マストロヤンニの映画、たしか「ひまわり」だったかな、そこでの彼の演技を観てからだ。彼の背中がスクリーンに映るだけで、何もしていないのに、その時の心情が伝わってくる、そんな経験というか感動を覚えてからだと思う。
面の表情や手足の仕草を使った表現とは違い、心の奥底からわき出てくるような感情が演技を通り越して観客に伝わってくる。後に、彼のことを背中で演技する役者と評するのだと知った。
こどもはもっと素直だ。背中の写真を見ただけで、この時怒っていたのか、拗ねていたのか、笑っていたのかが分かる。
背中は無防備だ。
さて、仕事柄取引先の方と商談することが多い。商談が終わって外へ出て一緒に歩く。背中を見る、背中を眺める。それを商談前の印象と比べると、何となく商談結果が分かるような気がする。
当然だが、言葉では今後ともヨロシク、とか。良いお話しができましたとかやるわけだが、本当のところはどうなんだという時の判断は背中だと思う。
それ以外にも、初めて会った社長さんで妙に背中が寂しい方がいたりする。表情は明るいのに背中は寂しいのだ。
背中が寂しいとは一体どんな状態よと言われそうだが、それは形状ではない。敢えて言えば雰囲気。何かが背中からは出ている。
人にはそれを感知する能力があるように思うのだ。
背中が楽しそうな社長さんもいる。僕はそういう人とは仲良くしておこうと思うのだ。
健さん(世代的にご存じない方へ、任侠シリーズで一世を風靡した役者の高倉健さんのことです)も背中で勝負してたなー、そして昭和は遠くなった。
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コメント一覧 (1件)
コメント失礼します。
背中で語るってよくいいます。父親の背中を見て育つというのです。
みんな前側は綺麗に魅せるのに必死だけど、後側の背中には信念や哲学を隠している、
きっと本質が滲み出るのだと思います。
でも不思議なのは女性は背中に出ないところです。
背中で語ったり背中を見て学んだりって聞かないです。
男の後ろをついて歩いていたからそういう文化が残っていないのかとも思うが、
なんだか不思議です。
背中で勝負だけでなく、言葉で言わないと伝わらないこともたくさんあります。
背中だけ見せて女性に愛想つかされないように気を付けないと!!