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希林さんの言葉。

グロリオサ(Flame lily):花言葉は頑強な愛。名前のグロリオサはラテン語の”gloriosus”から。燃えるような鮮やかな色彩と大きくそり返った華やかな姿を見ていると、自ずとイメージされる。
樹木希林の飄々としたその生き様はグロリアスからは遠い印象も受けるが、その内奥にはギラギラしたエネルギーとそれへの諦念を感じる。

樹木希林が今月15日に亡くなり、この連休は多くのテレビ番組で特集が組まれていた。

彼女のことは、変わったタレント、ユニークな俳優、独特な個性溢れる女優としていつも興味深く見ていた。

しかし、追悼番組などで、多くのその語録が取り上げられ、生き方のようなものが報じられると、興味を越えて尊敬にかわった。すごい役者だったんだ。

私生活であったり、病気と闘い続けながら多くの作品で存在感を出し続けていたというのが縦糸にある。そこから色々な言葉が紡ぎ出されていた。

”マネージャーは雇わない。その人の人生まで引き受けてしまうけど、そんな自信はないから、私は一人でやるの。”

と言って、あのアカデミー女優が自分で仕事を取って、自分で出演交渉し、ギャラも決めていたのだとか。なかなか自分で自分のギャラを交渉するって難しいだろう。駆け出しであれば仕方がないけどもうベテランとなると、できたとしても避けたがるのではと思う。

芸術家にとって自分で自分に値を付けることはむずかしい。マネージャーに適当にやっておいてよと言いながら、なるだけ高いギャラでお願いねというのが本音ではないだろうか。

お金と面と向かうのはできれば避けたいのが人だと思う。

そして、会社は多くの社員を雇っているが、果たして自分も含めてだがキリンさんのような覚悟をもって社員を雇っているのだろうか。

左目を失明したときには、

”その人の奥っ側にある、対する人の裏側にあるものを見ていくチャンスかなと思っています。”

ガンを告知されたときには、

”がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから、そういう意味で、がんは面白いんですよね”

ちょっと前に書いたことだが、これこそ最善観ではないかと。前向きを通り越えて、それを実戦されてきたのだろう。いや、実戦ということばも彼女には似合わない。

死への覚悟を問われたときには、

”自分が生きたいということが人の迷惑にならないよう、ごみが無いようにって思っています。”

ホトケじゃん。

この言葉聞いたときには仏そのものに思えた。死がいつもつきまとっているけど、死を特別視していない。

いろいろ気になって彼女のことばを追っていたら、父上は薩摩琵琶の奏者であるとのことだった。全てを物語っているように思う。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政