
雨上がりの善光寺境内。長野県は何度か来ていても善光寺は初めてでした。長野市内のホテルからは少し距離があるしあいにくの雨だし、チャリで善光寺は少し迷ったのだけど「牛に引かれて善光寺」です。引かれちゃうんですね私も善光寺さんに。それにしてもこのキャッチーな句は誰が詠んだんでしょうね。なかなかの名コピーのような気がします。
もともとは信心のところから来てるんでしょう、「ある日、牛の角に着物が引っかかってしまいそのままずるずると引っ張られた老婆が気がついてみたら善光寺に来ていてそれから信心深くなった」と言うお話ですけど善光寺って単語を口にするとこの”牛に引かれて”が頭についちゃいますよね、そうすると長野に来た人はついつい行かなきゃーって感じになってつい来ちゃいますよね善光寺。
これは江戸のマルチ才人平賀源内の「土用の丑の日はうなぎ食べましょ」じゃないけど、考えた方は相当のマーケターじゃなかったかと言う気がします。
メンバーの皆さんは僕が採用で北陸から信州に入ってきたのは知ってるでしょうが善光寺からアサカイは知らないはず、だから驚くはず。この驚く顔が見たくて色んなところからアサカイに出ますが、正直なところリアクションには乏しいのが我がメンバー、今日もそんな感じでした。テレワークはオーバーアクションぐらいがちょうど良いんですけどね……。
さて、気を取り直していつもの記事ピック。
今日のALさんが取り上げてくれたのは「企業間でもカスハラ――大口顧客から『暴言』民事訴訟に発展」でした。
うーん、またしてもカスハラかー。でも、ちょっと待っていけてるかも。
申し上げたように私が善光寺から参加しようとしていたことをアサカイリーダーは知りません。場所を伏せたまま思いがけないところから朝会に参加する──そのほうが、大げさに言うと誰かの一日を少しだけ面白くできると思うからです。そう、妻の誕生日に何かサプライズをと考えたりするあなたと同じ心境だと申し上げたら深く頷いて下さることでしょう。その時のあなたの心境、毎日忙しいし別にそんなことで驚かさなくたっていいやと思いつつも、やはりお互いが努力しなきゃダメなんだ、愛情の上にあぐらをかいてちゃダメなんだと思っているあなたと同じ心境です。
ところがこの日、善光寺とカスハラの記事が偶然に重なりました。「牛に引かれて善光寺参り」の逸話さながら、意図しない導きが私たちを同じ問いへと連れてきたのかな?
カスハラ記事の要旨
記事は2024年7月1日付で、カスタマーハラスメントが BtoB の世界にも深刻に及んでいる現状を伝えています。東京都内の住宅設備卸企業の営業担当者が北海道の取引先社長から約二時間にわたり人格否定の暴言を浴びせられ1100万円の損害賠償を求めて札幌地裁に提訴した事例が紹介されました。さらに、医療機器の値引きをカッターナイフで脅しながら迫った病院職員の行為を裁判所が不法行為と認定し、病院側の責任を問う判決を下したケースなどがあげられていました。
企業には現場担当者を守る安全配慮義務があり、取引先への不当要求は独占禁止法や下請法に抵触する可能性があります。freee や JR 西日本は基本方針を公表し、従業員を守ると同時に「加害者を出さない」取り組みへ舵を切りました。長期取引が絡む場合、現場レベルでの解決は難しく、経営層が実態を把握して顧客企業に厳正な処分を求める必要があると専門家は指摘しています。
とにかく弱い者いじめはあかんねんて。
幸いなことに、わたしたちの会社で取引先から暴言を浴びせられたという話は聞きません。しかし、カスハラの本質が「強い立場にいる者が弱い立場の者をいじめる」構図である以上、決して他人事ではありません。いじめはどこにだって起きますからね。だから幼い頃に家庭や学校で学んだはずの「弱い者いじめはいけない」という当たり前を学んできました。しかし経済合理性の名の下で脇へ追いやられてしまう現実こそ大きな課題です。本来こうした倫理は家庭や地域社会で身につけるものですが、社会に出てから改めて教え直さなければならない状況に私たちは直面しています。
資本主義が効率と数字を追い求める過程で、取引の現場から人格への配慮が抜け落ちてってる感じです。立場の優位性を盾にした暴言は、合理性の仮面をかぶった倫理の外部化です。だからこそ企業は利益率の計算だけでなく、非数値的な価値である敬意とケアを文化として組み込み、組織全体で弱い立場に立つ人を守らなければなりません。
お客様は神様やない、神様はここにいてはります。
善光寺は無宗派の寺院として知られています。これをそのまま額面通り受け取るならば偏っていない、解放しているすべてに解放しているお店ではあると言えるでしょう。またそこには江戸時代以前、多くの寺社で女人禁制や身分制限が見られた中にあって、善光寺は女人往生(女性も極楽往生できる)の信仰で知られ、女性を含むあらゆる人々に開かれていと書かれています。これは平等しそうかな。
ここでアサカイやってその記事ピックが「カスハラ」って言うのもなんだか意味深んですよね。
お客様は神様やない、神様はここにいてはります。弱い者いじめはあかん、理由なんてないあかんもんはあかん。
そんな当たり前のことがわからん世の中になってる。
さて、みんなで老婆が引かれていったように、みんなで牛に引かれて善光寺参りしませう!
