
私たちのフィロソフィーは「文化を愛し教養を育む。」です。
これ、フィロソフィーなのでそれで良いのかもしれませんがどうにも分かったようなわからないような言葉だなぁって自分でもそう思います。まずもってこれを解釈しようとすると、ではその「文化」とは「教養」とはなんだろうかという問いにぶつかります。言葉で言葉を説明したり定義するのはあまり意味がありませんし誤解さえ生みかねません。特にこういった抽象的な言葉はそうです。なのでそれは個々人で個人の体験なりを通していかようにも解釈されたら良いのだと思います。
ですが敢えてこの禁を破ってこのことばを風景としてとらえ、そのイメージ化された心象風景をふたたび言葉でスケッチするとこうなります。
「文化とは戦場に咲く一輪の名もなき花であり、教養とはその存在をかけがえのないものとして慈しむ心。」のようなものではないかと思います。
自分なりの定義としてはこうです。
ただ、これだけだとその花を慈しむことはできても守り抜くことはできません。
教養には意思の力が必要です、愛がそうであるように。
そう、私たちの掲げるはたらき方である「コーラルワーク」こそがその一輪の花を守るための戦略、ストラテジーなのです。