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みなまで言わんとき

みなまで言わんとき
話したいだろうけど、じっと我慢するんだよ。

これはきっとあまり使いたくないけどジェネレーションギャップってやつなんだろうなぁ。

僕らの頃はよく目上の方が、「みなまで言うな」「みなまで言わんとき」
あるいは立場を変えて 逆の立場からだと、「みなまで言わすな」「わしにみなまで言わす気ーか」

などと場面場面でおっしゃってたような気がします。自分自身はあまり使うフレーズではなかったけども、周りではよく使ってたなぁというのを今になって思う時があります。

これはまぁ、解説していくと、つまりことばを補っていくと、
「みなまで言うな」「みなまで言わんとき」
「すべて言わなくてもいいよ、君の気持ちは十分にわかってる。全部説明しなくたって私は君の気持ちはわかってるからもういいよ、これ以上言うと辛いだろう。」
ということかと思います。

「みなまで言わすな」「わしにみなまで言わす気か」
これも、ことばを補っていくと、
「私に全部説明させないでくれ、こんなこと言わなくたってわかるだろ。もしも私が全部説明してしまったらどうなるんだ、私に恥をかかせないでくれないか。言わないでもわかってくれないだろうか」
ということかと思います。

昔はよく使われていたこういうフレーズがどうしてなくなってきたのかと考えると、「説明責任」という言葉に行き着きます。いつの頃からかこの説明責任という言葉が多くのマスコミの報道や日常会話に登場 するようになりました。そして説明ですから言葉で説明することが、どんな場面でも必要なんだということがお互いの了解になってきました。世間の了解でもあります。
なので、こういった、ある意味説明を拒否するような「言わなくてもわかるじゃないか」と言うような 表現はすっかり影を潜めていったということになるかと思います。  確かに政治家等は説明責任があるのだと思います。説明もしないであるいは説明できない状態で大事なことを国の政策に関わることを決定されたらたまらないわけです。そしてそれは 会社にも言えることですね。  ですから例えば会社においては上司が部下に命令をする場合には、ここにも説明責任がおのずと求められてきます。なぜ、この命令を君にしたのか、なぜ君にこれをしてほしいのか、説明が求められます。 受ける方でも、命令を受ける方でも理由のない命令と言うのは受けがたいという風潮があります。時として理由を述べなければ理不尽と取られます。

これは善し悪しだなと思ったりします。何も僕が説明を拒否するとかそういう意味では無いですが、世の中には説明できないこともあるなぁと言うことが、だんだんだんだんわかってきます。それは何故かと言うと説明をすると必ずそれは拒否したい場合には理屈で返ってくるからです。
よく言われることですが断る理由しない理由と言うのはいくつでも思いつくわけです、否定の理由というのは思いつきます。
そうすると、やってください、いややりません。やる理由がないですから。だってそれをやるためにはこれができなければいけません、これはやることが意味がありません。 などとなり最終的には意味、無意味の応酬であったり価値観のそれになってきてしまいます。

一方で、やることにはあまり理屈はありません。やりたいからやるしたいからするというのが大半でしょう。

それもこれも、一昔前までは人徳がそれを解決していたように思います。人徳のある方から何かをやってくれと言われたらあまり疑うこともなくその方の言うことだからと二つ返事で引き受けていたような気がします。

しかし、今や社会は高度化し、すべてを言葉で説明しなければいけないようにますますなってくるでしょう。

だけどどうなんでしょうか、言葉には限界があるのではと思うのです。こうして言葉を用いて書いていますが。