W杯サッカー、政治とスポーツ。

今晩、日本はドイツから勝ち点3を上げて勢いに乗った状態でコスタリカとのキックオフを迎えた。前半を終えたところで0対0と拮抗状態。

本来なら、がんばれニッポン!と一杯やりながら気持ちも高揚するはずなんだけどどうもそうならない。

ドイツ代表がその日本戦の前に、選手たちが自分の手で自分の口を覆うポーズをしたことをその逆転劇の後に知ったからだ。

口を覆うポーズの意味は、「多様性を訴える腕章の着用を認めなかった国際サッカー連盟(FIFA)へのメッセージ」だったとのことだ。では、そもそもその腕章は何のためだったかというとLGBTのような多様性を認めない主催国であるカタールという国へのそれであったらしい。

今回はの代表チームが母国で起きているデモへの圧政に対して、国歌斉唱を拒否した。そしてイングランドの選手は試合開始前に片膝をついた。このポーズはまだに新しい米国で起きた事件、白人警察官による黒人男性の暴行死事件を機に広がった”ブラック・ライブズ・マター”運動への共感だろう。

そうか、あの日本の逆転劇が起きる前、試合の前にはそういうことがあったのかと後日知ってからはどうにも試合に身が入らなくなった。

一方、そのドイツでは、格下の日本相手での敗戦は思いもしなかったことらしく敗因をそのドイツ代表のパフォーマンスに求める意見も出ているらしい。
そんな'政治的なことに意識が入っているから日本に負けたのだと。
憤懣やる方ない気持ちはわかるがそれこそそこは分けて考えるべきだろう。

スポーツと政治は別物なのか?
いつも出てくるのはこの言葉。

果たしてそうなのか?

確かに一緒にしてしまうと私のように試合観戦に身が入らない人間が出てきて主催者としては困るのだろう。

自分もサッカーは大好きだしワールドカップとなると相当に興奮する。だけど、政治とスポーツというテーマからいつも出てくるフレーズはこれ”パンとサーカス”。
古代において、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、生活のためのパンと娯楽としてのサーカスを市民に無償で提供した。人々はそれに安心し満足し政治的関心は薄れ批判もなくなった。

1対0、惜しくも敗れた。思いもしない敗戦という結果に日本国民全員がうなだれているだろう、かくいう私もそうだ。ドイツ戦勝利の翌日のアサカイでは当日のアサカイも珍しくスポーツを話題にした。それぐらい気分が高揚していた。
明日はどうだろうか、容易に想像できる。やはりなんだかんだ言っても勝負は勝たないといけないのだろうな。
その日のアサカイでは日本の勝利をみんなで祝った後に私は「Jリーグ百年構想」の話をさせてもらった。Jリーグがスタートしたのは、1993年(平成5)だから、今私たちの会社に在籍しているメンバーの半数以上がその年より後の誕生になり、生まれた時からJリーグがあったわけで、そうなるとこの言葉も知らないだろうなと思ったからだ。案の定そうだった。
当時、Jリーグと言えば三浦カズなどの選手も人気だったが、”川淵三郎”という初代Jリーグチェアマンの存在はひときわ大きかった。この「Jリーグ百年構想」というスローガンはその彼の理念を言葉にしたものだ。サブスローガンは「スポーツで、もっと、幸せな国へ。」
その心は、
「子供からお年寄りまで、健康な人も障害をもつ人も、だれもが分け隔てなく気軽にスポーツを楽しめる環境」を目ざして、地域に根ざしたクラブを日本各地につくる。50年、100年という長い歳月がかかるかもしれないが、長期的ビジョンをもって取り組んでいく(Jリーグ・ニューズ第20号)」
だから「Jリーグ百年構想」
そして、ここに挙げられている3つのフレーズ、”分け隔てない環境”、”地域に根ざす”、”長期的ビジョンを持つ”などの言葉はそっくり私たちが目指すコーラルワークにも当てはまるのだった。
2022/11/27午後9時30分追記

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