経営者が読むべきビジネス書ランキングに必ず顔を出す一冊にデール・カーネギーの「人を動かす」があると思います。経営とは人を動かすことであると言っても良いでしょうから正に経営者にとっては必読書と言っても良いのかもしれません。ベスト10には必ず入ってるかのような印象です。
その中にはあのイソップ物語の「北風と太陽」が出てきます。人を説得し動かすことの喩えとしてこれほど有名な寓話はないでしょう、旅人にどうやってコートを脱がすのかを説明しています。
旅人にいくら強く北風を吹かせてもだめだそんなことをしたら旅人はますますコートをきつくまとうようになるだろう。それよりも南風のように暖かい風を吹かせば自然と人はコートを脱ぐものだと。
なるほどと思わせるよくできた物語です。
でも、これを実際の会社や今の社会に当てはめてみるとどうなんでしょう。あの偉大な作家デール・カーネギーに逆らうつもりなど毛頭ないのですが、今は太陽ばかりが目立つなと思うのです。
批判する人は多いけれど、ガツンと周りの目を気にせず自分の意見を言ってくれる人は少なくなっているように思います。
北風があればこそ太陽であることに意味はありました。しかし、今は人々はほとんどが太陽になろうとして、北風になる人はいなくなってしまったように思います。嫌われることを恐れて、誰も北風になろうとしない。みんながお互いに同情しあい褒めあってその場しのぎをしているように思えます。
こういった今を見たとき、「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」という言葉が思い出されます。元々は仏教用語のようですが、京セラの創業者である稲盛和夫氏などの著名人がこの言葉を引用したことで広く知られるようになったようです。
「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」という言葉は、表面的な行為、言動(小善)が結果的に大きな悪を招くことがあり、真に相手を思って行う大きな行為、言動(大善)は一見冷淡に見えることがある、という意味です。
例えば会社内の行為、言動で言えば、
上司が部下のミスを見逃し厳しく指導しないことは一時的には部下にとって優しい対応に感じられます(小善)。しかし、これでは部下は自身の過ちに気づかず、成長の機会を失います。逆に、上司が信念を持って厳しく指導することは、その時は非情に感じられるかもしれませんが(大善)、長期的には部下の成長と成功につながります。
社会的事例で言えば、困窮者に対してただ物資や金銭を与えるだけでは一時的な救済にはなりますが(小善)、自立を促すことにはなりません。これにより、受け手は依存心を持ち、自らの力で生活を改善する意欲を失う可能性があります。一方で、教育や職業訓練を提供し自立を支援することは、短期的には厳しく感じられるかもしれませんが(大善)、長期的には持続的な生活改善につながります。
このように、「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」という言葉は、短期的な優しさや自己満足のための善行が、長期的には相手に悪影響を及ぼす可能性があることを戒めています。真の善行とは、相手の将来を見据え、時には厳しさを伴う行為であることを示しています。
太陽は小善であり、北風が大善である。つまりは大善は非常なのだ。
「嫌われる勇気」のような本がここまで売れ続けるのは、嫌われることを恐れる人が多いことと同時にそのことに疑問を持っている人がいかに多いかも物語っているのではないでしょうか。