足利事件、いわゆる冤罪と言われる事件の一つ。犯人として十数年監獄につながれた菅家 利和さんの
検事との会話を録音したテープが公開された。
肉声そのものはではないが、主な内容はテレビではテロップ、新聞では活字として紹介されていた。
「私には50代がないんですよ」という菅谷さんの言葉が印象的だった。
40代で収監され、解放されたのが60を過ぎてだから。
私の中のミニミニミニ、ミニ足利事件
私もわずか5時間ほどだけだが、いわゆる取調室に拘束されたことがある。
恐かった。
内容や程度は菅谷さんのそれとは比ぶべくもないが、方向はおなじだった。
わずか2,3畳ほど。出入り口は一ヶ所、窓には鉄格子。聞かれることは同じことの繰り返しだから、当然答えることも
同じになってしまう。そのうち鉄格子の窓の外がだんだん暗くなってくる。外部とは連絡が取れない。
いつになったら帰れるんだろうと不安になってくる。
同じことを聞かれることは、状況によっては退屈さを通り越して恐怖になる。
私の場合には、あー、こうやってえん罪って生まれるんだという感慨を覚えるだけの余裕があったが、これが数日続いたらそんな余裕は時間と共に消失していっただろう。
では、今話題になっている取り調べの可視化が良いのかとなると、これも諸手を挙げて賛成とも言えない。
千葉や島根の痛ましい事件の記憶は消えないし、やがて似たような事件がまた起きるのだろうという諦めもある。
必要な捜査にとって必要な手順やスキルは当然あるだろうから。
でも、可視化は時代の流れだろう。
コメントよろしければ/Please feel free to leave a comment.