マサコとタイプすると、昌子、雅子、正子、政子などが変換候補となります。
偏った印象かもしれないけれど、これらの名前からは何れも芯の通った、真っ直ぐな女性というものを感じます。
そして、昨日政子の書を見てその思いを強くしました。
北条政子のことです。
世に尼将軍と呼ばれ、頼朝の正室であり、鎌倉幕府二代目頼家、三代目実朝の母となった人物。
場所は京都市右京区高雄にある神護寺。
ゴールデンウィークの最中だけ特別に、虫払行事として、日頃は寺の奥深く、或いは博物館のガラスケースに収まっていた宝物の数々を間近に目にすることができるのです。
超有名な宝物の一つとしてあの頼朝像でさえも目の前で見ることができるのです。
中学か高校あたりの教科書で見てきたあのおなじみの頼朝。
それがガラスのケースに収められるでもなく、目の前に吊されている。手を伸ばせば触ることさえできるのです。
あまりに無防備なその姿勢にこちらが緊張してしまい、喉も詰まっていないのに咳き込みそうになり、慌てて口を覆ってしまい
そうになりました。
最近は、というかちょっと前からかこの頼朝像が実は足利直義ではないかというのは、僕でも知っている世間のちょっとした
騒ぎごと。恐らく宝物を見ている方々の大半は、えー、これ本当に頼朝なのかなー、どうなんかなーなんて思いながら
見ていることでしょう。
で、僕は気になったら聞かずにはおれない災い深い性質なので、そばにいらっしゃったお寺関係の方に聞いてみました、
率直に。
すると、まー、これが立て板に水というのでしょうか直義論の根拠のないこと、どう考えても頼朝であることは間違いないことを
滔々と語られ始めました。こちらの浅学な知識では理解も半分という具合。
真偽のほどはわかりませんが、僅かな時間で平安末期から南北朝にいたる日本史の勉強ができたことは間違いありません。
ま、頼朝はここらへんで置いといて、政子です。
その同じ部屋に、頼朝の手紙、そしてその横に並んで政子の手紙が陳列されていたのです。
これは風が吹いたら飛んでいきそうなのでさすがにガラスケースに入ってましたが、夫婦の手紙が並べておいてある
風情は風情として十分に伝わってきます。
頼朝のちょっと神経質そうな書体に対して、となりの政子の書は伸びやかで大らかなのがいかにも対照的でした。
あー、これがあの尼将軍と言われた北条政子の字なんだと思うと、僕のマサコ感が妙に自分でも納得できたのでした。
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