今回私たちの会社のあるメンバーが長年暮らした東京を離れて家族とともに自分の故郷に戻ることにした。その決心を聞いたのはもう一年近く前だが、その時から熱心に図面を引いていた家族の家が完成間近となったのだ。
来年早々には彼らはふるさとの新居で新しい歳を迎えるのかもしれない。
私たちの会社は出社を前提としない働き方なので結果的にフルリモートとなり別にどこに住んだって良い。
しかし、現実には彼は営業マンなので東京を離れることは営業としては厳しいとの意見が社内からちらほら出た。
本人にもそこには大いに迷いがあったようだ。
さて、一般的にはそうだが、しかし果たしてそうだろうか。
彼はまだ20代後半だが結婚してすでに子供が2人いる、そして故郷には2人の両親が待っている。
孫を連れてそこに帰る営業マン。
そこにはきっと多くの幼友達もいることだろう。ふるさとは、地方は都心に比べれば土地が安く、自然が豊かである。
そして何よりも彼の場合には家族がいる。
一方で営業マンにとって最も大切で必要な顧客はいないあるいは少ない。ここを致命的と考え多くの社会人が故郷への思いにふたをする。
しかしだ、ここから先はよく考えなければならない、会社は何のために存在するのかをだ。常にここを思考のスタートラインにしなければならない。
自分は何のために存在するのかと同じように会社は何のために存在するのかを考えてほしい。
営業活動をするにあたってこれほど最適な場所は無いのだ。
決して情緒的な話をしているのでも強がりで言っているのでもない。
「営業」これを字義通りに解釈するとどうなるか。業(なりわい)を営(いとなむ)と書く。なりわいは和語ではあるがこれを仏教用語つまりサンスクリット語で表せばカルマとなり、カルマとは生きる行為そのものをさすのだ。
業とはなりわいでありカルマなのである。
日常を営むことすなわちそれこそが営業であるならば彼はふるさと家族という最高の場を得たと言っていいのだ営業マンとして。
もしも彼が生活、生きることと仕事とを分割されたものと考えるのではなく、人生という一直線上に存在する不二の存在としてとらえるならば、営業マンとしての結果は保証されたようなものなのだ。