
サ・ク・イ、これなくせる?
この世は作為だらけやなぁって思います。あなたも思いますよね?
なーんか皆さんみんないい人なんだけど、こうするためにはこうしてあぁしてとか、こうしないためにはこうしてあぁしてとか。頭の良い人ほど先が見えるので、みんな負けないように、人は先を見て先を見て、人に気を遣っているふりをして、本当は気をつかってるんじゃなくって気が弱いだけなんだけど、自分は精一杯気を遣ってるんだって風を装ってなんだか生きている。
もちろん私もそう。作為的に生きている。
だから、そんな作為が嫌で偶然性に身を委ねることを無常の喜びとしています。目の前に起きたハプニングはこんな作為的な自分を救ってくれる神の手なんだとばかりに飛びつきます。そのためにどんなことであってもあぁめっちゃ面白いって思うようにしています。
江戸時代の半ば、人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、「日本の古典にみられ、古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、作為のない自然の心情・態度こそ人間本来のあるべき姿である」
こんなことを言ってた人が、当たり前だけど日本にも昔いてその人が賀茂真淵だってことを知ったのは、愛知県豊川市でメンバーのお父ちゃんとサシで酒飲んで、まぁいろいろありますねなんて話ながらお互いの身の上を語って、それから神奈川県は座間に向かってチャリを走らせている途中のことでした。
今日はどこまで走ろうか、掛川まで行けるかな、もう一杯やりたくなったし浜松で泊まろうかななんて思ってた矢先のことです、県道脇に「賀茂真淵記念館」の立て看板発見!
カモノマブチ、賀茂真淵、知ってますがね、知らいでか。これ初めて教科書か何かで見たときには、私は当時はプラモデルに凝ってて、中学生なら誰しもそうかもしれないけどそのプラモデルに使われているのは、必ずと言っていいほどマブチモーター。このマブチモーターと賀茂真淵のマブチは全然関係ないけど音の響きが面白くてなぜか頭にすんなり入ってきたのでした。当時はマブチモーターっていうのは商品名とかそういうのではなくてモーターの規格のようなもんだと思ってたのです。中学生の頭はそんなもんです。インバウンドで日本にようけやってきはる外国からのお客さんが、日本のトイレに入ったらどこもかしこもTOTOって書いてるので、ジャパニーズトイレビューティフル、トートーイズザベスト!っていきなり話しかけてくるガイコクジンの方と近からずとも遠からず。
賀茂真淵も一つの規格なんだろうかとか、そんなわけはないんだけどそういうふうに記憶していたかものマブチが目の前に記念館として現れたわけです。
時刻はもう夕暮れ、西陽が立て看板を照らします。
マブチー、いや眩しー。
坂道を少し上り切った高台の住宅街にそれはありました。
そもそも私は賀茂真淵先生が浜松、遠州の方であるとは全く想像してませんでした。勝手に江戸の人やと思ってました。というのも有名な「松坂の一夜(マツサカノヒトヨ)」があるからです。
有名っていってなんか自分は当たり前に知ってますよって知識ひけらかすみたいですけど、知ってますよね?
有名ですよ、有名ですって。
コクガクー、国学って言えば本居宣長なわけですが、彼が三重の松阪で真淵と一夜を共にする。
こう書くと怪しいですよね、一夜を共にするって別の意味があるのが日本語というか言葉の面白いところです。文脈がどうであったとしてもこれはダメなわけです、誤解を生むのです。
誤解のない言い方でいくと一晩語り明かした二人は翌日はお互いに別れを告げるわけですが、そこで永遠の師弟関係が結ばれるわけです。これ無茶苦茶大きい、ビッグイベントなわけで江戸の半ばのこの出会いがなかったら、これなかったら明治維新起きてなかったんちゃう?なんてことも想像するのです。
人は出会うものです。私も妻にある時出会ってるわけです。
では、妻との出会いが令和維新を起こすのかと言われるとイシン(自信)はありません(^o^)
違う違う、ま、そういうわけで、本居宣長は三重県松阪の人ですから、そこで出会った二人がもう二度と会うことはなかったということなので、賀茂真淵は大阪や京都の人やないやろ、そしたら江戸ちゃうかと勝手に思っていたわけです。しかして実際は浜松!
こらー、もっと売らなあかんよ真淵先生のこと。浜松名物ってうなぎ、餃子、違うでしょ。夜のうなぎパイでしょって違うですよ、もっと売っていこうよ真淵先生のことー。
チャリにとって坂道は大敵、愛知県豊川から走って来てますからそれなりに疲れてますがそこは自分に鞭打って坂道を上ってついた時にはもう閉館間近、チャリを入り口付近に止めとにかく入館。
こういう地方のいわゆる偉人に関係した資料館や記念館って、恐ろしいぐらい人気ありません。御多分にもれずこちらも館内には人気(ひとけ)はありませんでした。
これ幸いに、私は館員さんを独り占めにできるのでした。
話している途中から、もう明日のアサカイはここしかないと決めていました。私の場合、こういうシチュエーションわりとありますが。
館員の方に私たちの働き方のこともご説明すると、とても興味を示してくださいました。そしてそうであれば明日は館長に来ていただくとおっしゃってくださったので、これは面白くないわけがないんです。
なんとおまけに、私たちのアサカイの開始時刻9時に合わせてきて下さるとの事でした。本当は記念館が開くのは9時半ですから大変申し訳ないのですがご厚意に甘え私も9時前にはあの坂道を上って入館していました。
恐らく、おそらく私たちの会社のメンバーは甚だ失礼ではありますが、賀茂真淵のこと知らないのです、たとえ知っていたとしても私同様に浜松とは知らないでしょう。ただ、私は知ったからには伝えなければならないし、彼らの驚く顔が見てみたいので、メンバーには黙っておくことにしました。そして私たちの顧問弁護士の先生も歴史にはとても興味をお持ちなので特に国学となったらそうですから先生にもご連絡をして明日のアサカイぜひ参加してくださいと申し上げたところ喜んで了解とのことでこちらもウッシシでした。
翌日は写真の通りです。
アサカイが始まって私たちが京都や東京だけでなく本当に全国にメンバーがいて、完全なリモートワークで働いていることがお分かりになると館長はじめ館員の方々は私たちのはたらき方にとても興味を持ってくださって、それだけでもここでやって良かったなと思えたのでした。先ずは一人でも多くの人に私たちの働きかたを知ってもらうことだなって日々常々思うところなのです。
館長から説明を受けながら館内をタブレットでメンバーと繋ぎながら歩いていると塙保己一に関する資料が目に入ってきました。真淵は弟子の数が多いことでも有名ですが、ホキイチも弟子だったのと驚きです。もう随分と前に埼玉県本庄市にある「塙保己一記念館」を訪れた記憶が蘇りました。その時には幼少期に失明しながらも膨大な古典籍を編纂した塙保己一の不屈の精神と学問への情熱にはたまらなく感銘を受けたのです。
ここの資料によると、塙保己一が真淵に弟子入りを願い出たのは保己一24歳、真淵73歳です。真淵は享年73とあるので入門まもなく死別しています。だけど、この二人出会って繋がってるんです。
なんかこんな松坂の一夜と言い、この出会いといい、江戸の頃って今とは全然違う出会いと別れだったんだろうなって思います。
突然ですが、別のこと語りたくなりました。
私たちの会社はフルリモートでやっていてメンバーは日本各地に住んでいて年に4回のGMでしか基本的に会うことはありません。そして私はこうしてチャリに乗って面接では応募者や応募者の家族に会いに行ったりメンバーに会いに行くようにしています。新幹線で行けば数時間のところをどこまで暇なのかわかりませんが、何日も掛けてチャリに乗って会いに行きます。どうしてこんなことしてるのか自分でもよく分かんないですが、こういった松坂の一夜や保己一の弟子入りエピソードに対する憧れがあるのかなと思ったりします。その人との出会いを自分自身が最高のものにしたい、体で感じたい、そんな勝手な欲望のような気がしたりする遠淡海国(とおつあわうみのくに)での出会いでした。
これは作為ではないと思いたい。




本当にありがとうございました。
私たちも真淵先生にならって作為なき生き方、働きかたを目指します!