副業が福業になる瞬間(とき)。

アナベル・リー(Annabelle):花言葉は移り気。時間とともに花の色が変わっていくことから、こういった花言葉があてられたようです。
副業が移り気というわけではないけれど、近い感情としてはこれもあるかなと思い持ってきました。
だけど、ホントはそんなことよりも、このアナベル・リーがエドガーアランポーの詩から来ていて、同じ題名でジョンバエズが唄っていることを持ってきたかった。
とても幻想的な詩で、アナベル・リーへの愛を書いたものだけど、もし、アナベルの花言葉の由来がアナベル・リーだとしたら。­­-そうであってほしいけど、一つの美しい愛の形だな。

副業についてずっと考えてきた。

今年の1月31日厚生労働省が定めているモデル就業規則に、副業と兼業が追加されてからのことです。これはモデルケースであるにすぎず、必ず実行しなくてはいけないものではなかったのですが、インパクトは大きかった。この就業規則を参考としているところは多いでしょうから、それなりに影響はあります。以来、副業に関するニュースは本年度の大きなトピックになっていったと思います。

「原則禁止」から「原則自由」になったわけですが、そもそも、私たちの会社では副業を禁止していませんから、考えることはないのかもしれません。

しかし、その内容と 私たちの会社が目指している方向を重ね合わせて見てみると、考えないわけにはいかないのです。そう、めちゃくちゃ考えます。

副業兼業ガイドラインの中では、そのメリットとして次の4つが述べられています。

●主体的キャリア形成
●自己実現追及
●所得増加
●起業転職の準備試行

なるほどなーと思わせられます。良いことばっかりです。これからのニッポンに必要なことばかりです。
しかし、これって全部副業しなきゃ実現できないものなのでしょうか。
決してそんなことはないのでは。

私たちの会社では、ここ数年残業はけっこう減らしてきました。前期実績では9時間/月となり10時間を切ることができました。休日、休暇も合わせると年間130日を越えます。休日出勤というのはほぼゼロです。
一方、残業が減ると所得か減ってしまうので、その分、同時並行的に基本給を上げてバランスを取ってきました。まだまだ不十分ではありますが。

こうして残業を減らしていくと可処分時間が増えるので副業ができる環境になります。
しかし、副業してほしいから残業を減らしたわけではありません。
ここが苦しいところです。

世の中的には副業こそ是(ぜ)であるという流れが趨勢ですからね。副業を良しとしないという会社はいかにも時代錯誤的で、後ろ指さされかねません。
では、 私たちの会社ではなぜこうして実労働時間を減らし、個人の可処分時間を増やすことをしているかというと、これは教養を高め個の価値を高めていくためです。

何を分かったようなことをと言われそうですが、そうでもないんです。

つまり、個の価値が高まれば必ず仕事に跳ね返ってきて、生産性が上がり企業価値も増し、社会貢献できるであろうと信じているからです。
では、可処分時間が増えれば、必ず、個の価値が高まるのかと言われると、それは人によりけりです。

しかし、想像してみてください。仕事を離れ、自分で自由になる時間を使って家族と共に過ごす時間、地域の活動や自分自身の教養を高めるための時間を増やすことは、どう考えても個の創造力、人間力を高めるに違いありませんし、ニッポンの産業自体がそういう人材を求めていることも明白です。
従来のように、会社に長時間拘束され、会社の人間関係や会社の枠組みの中でしか物事を考えることができないようだと、新たな価値を創造していくことは 難しいでしょう。

ニッポンの産業は欧米からの輸入、加工のステージはとっくに過ぎて行ってしまってます。もうこれからは答えのないゾーンで、何を為すべきかを問われるようになってきています。AIを待つまでもなく、単純な労働は価値を失います。そんな時に会社に拘束されていては人間性を発揮する場面は極めて限られてきてしまいます。

もちろん、仕事そのものは重要です。今の社会では仕事が人生の中心であり、仕事を通じて自己が高まり、仕事を通じて自己実現を果たすのはごく自然です。仕事と個は密接に関係し合っていると言って良いでしょう。であるからこそ、家庭や人間関係を大切にし、社会を考える教養豊かな人間の集団は、仕事を通じてお互いが個を高め合うことができるのです。

仕事を通じて人間性を高める。そのためには、働くべき時間内で働き(効率良く働くという意味ではありません)、売上を伸ばし、収益を上げることが何よりも求められますし、それが実現できたことが人間性が上がった証拠にもなります。

自分自身は投資の類いは全くしません。利殖には興味がない。不動産も株の投資もなにもしない。会社の業務以外興味がないというか眼中にありません。それは、不器用だからできないわけでもありますが、世の中にはとても器用な方がいらっしゃって、仕事もそつなくこなし、副業でバンバン稼ぐなんて人がいます。今の稼ぎで十分だなんて考えているサラリーマンはごくごく少数でしょう。家庭を持てば、こどもの教育、親の介護次から次へと物入りが続きます。
そこに来て、副業の解禁というか、政府の後押しです。

正直なところ悩ましい問題です。しかしどうであれ、人間性を高めることが求められていることは間違いないはずです。
そのためには、もっとこれからは遊ぶ時間というか、創造的に遊ぶ時間、いわゆる可処分時間を増やすべきであるにも関わらず、副業を奨励するのはどうなんでしょうか。遊ぶ時間がなくなっちゃいます。
少子高齢化の中にあって労働力を確保する狙いもあるというのが政府の見解です。その狙い自体は正しいと思います。ただ、それはごく一部の有能な方の所得を潤すだけであり、副業を推奨してしまうと雇用が不安定になり、低賃金で単純な労働を増産してしまいそうな気がするのは私だけでしょうか。

とはいえ、これから働き方が大きく変わっていくのは間違いないでしょう。ネットの力は、好むと好まざるとに関わらずあらゆる枠組みを取り払い、私たちに働くことの新しい価値を見つけろと迫ってきているようで、それとともに当然のように会社や組織の枠組みも変わっていくことでしょう。

副業禁止とか解禁とかって言っているのがなんとも次元的に低く感じられるのです。

もしかすると、本業、副業関係なく、全てが福業になる瞬間(とき)が来るのかもしれませんね。それを作り出すのがあなたであり私たち。さ、明日から新しい一週間が始まります、自らを高め仕事に邁進致しましょうぞ。

この記事を投稿したのが2018年ですからもう7年前だってことになります。改めて今見返してなんともクソ生意気に理想を語ってしまっているなーと思います。
もちろん、その時にも書いているように私たちの会社では副業禁止などはしていないわけですが、この文章を読むと人間性を高めるための副業をしなさいと言ってるみたいで結果的にお仕着せが強いなと今は思います。
そもそも副業はこんな場合には会社はしないでほしいと考えるはずです。他にもあるかもしれませんが、とりあえず。
一番気になるのが、体力的、精神的に大丈夫?です。
副業はどうしても仕事が終わってからあるいは休日に行うわけですから、そのことが長時間労働や過労につながって本業に支障が出ちゃうんじゃないかとか心配します。
それとか、ちょっとやばめの副業だったりしてそのことで会社に悪影響が出るとか、そしてこれはよく言われることですが、競合企業で副業して会社の情報が流出してしまうとかです。
しかし、逆に言うと、そうでもないかぎりはご本人が希望するものはなんでも良いのであって、そこを抑制させてしまうような意見は控えなければならないのだろうと思えてきた昨今です。
それはこちらに投稿した男性育休でも言えるかと思います。
男性育休はこの副業同様に会社が禁止などできるはずのないものですが、このように理想を語ることで取りづらい側面が出てしまっているのではないかと思うとこれも反省すべき点です。
2025/08/02追記

副業禁止はダメでしょうって時に僕も思っていたし皆さんもよくおっしゃるのは職業選択の自由(憲法22条1項)との兼ね合いだと思います。
でも、この職業選択の自由は「どの職業に就くか」の自由であって、就職・転職の段階における自由を指すんじゃないかと思います。
それに対して、副業禁止は「複数の職業を同時に選択する自由」を制限するものです。
ですから、22条だけで副業禁止の可否を論じると、論理的にはやや外れた議論になるのではと思います。それよりももっと憲法の根幹に関わるような人権の面から見ていくと、憲法13条にある幸福追求権が関係してくるんじゃないかと思います。
つまり副業することがその人にとって幸福追求の一つの手段であれば会社はそれを容易に制限できないのではと思うのです。
副業は人によってさまざまでしょうが「経済的な向上」だけでなく「自己実現・趣味・社会貢献」など幸福追求の一部になり得るように思います。
会社がそれを一律に禁止することは、単なる職業選択というよりも個人の生活全体・幸福追求の幅を狭める行為ではと。
ここまで書くととても社員に理解のある人ぶってる感がありますが、だったらなんでも良いとはならないと思います。先にあげたようにそのような自由はこちら厚労省の「副業・兼業の促進に関するガイドライン」の冒頭に挙げられている
① 労務提供上の支障がある場合
② 業務上の秘密が漏洩する場合
③ 競業により自社の利益が害される場合
④ 自社の名誉や信用を損なう行為や信頼関係を破壊する行為がある場合
このような場合には制限されるべきと思います。
しかし、そうでない場合には企業としては全従業員の幸福追求を後押しすべきなのではと思えます。そのことで会社内に自然と多様性が生まれるでしょうから、それこそがコーラルワークが目指すべきところではないかと思うのでした。

*本文中に憲法の条文を引用したりしていますが、私は法律はもちろん憲法について明るいわけでも資格があるわけでもありません。その上で語っておりますことなにとぞご理解くださいませ。
2025/08/03追記

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