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曇天の今日は波も少し荒れていて、雲も少し垂れこめていた。
45年前はどんな天候だったんだろう。
それにしても水平線が遠い。 そして45年という月日は人の人生としてあまりに長い。
最近のビジネスホテルは地元の新聞を置いてないことが多い。日経は置いてるんだけど、地元の新聞は置いてなかったりする。新潟に来たら新潟のホテルに泊まったら地元の「新潟日報」を読みたい、こんな読者はもうほとんどいないということだろう。そもそも新聞を読んでいる人間がいったい世界中にどれほどいるのか。
私たちはもう会社に出社しなくなってつまり通勤をやめて2年が過ぎ、私も通勤電車に乗ることもなくなりました。コロナ前からそうですが、電車の中で新聞を広げている人って一つの車両に一人いるかどうかだと思います。それも男性より女性の比率の方が多くなっているように思います。
とまれ、新聞というメディアももう風前の灯、このメディアがなくなった世界を想像しながら新聞に目を通すのは懐古趣味とは違った別の側面があるのではと思っています。しかし、今は「地元紙新潟日報」です。
そんな時には、コメダ珈琲に向かうしかない。
着くなり、広げた地元紙、新潟日報の一面トップは「めぐみさん拉致きょう45年」。
そうかー、もう45年か。
次の見出しは、「横田家の海で救出誓う」
あれ、どういう意味だろうと思って読んでいたら、めぐみさんが拉致されたのは今私がコーヒーをのんでいるこの店から自転車でおよそ20分ほどのところにある海岸だと分かった。
着いた海岸、寄居浜は新聞に出ていた写真、45年前に横田さん一家が撮った写真と全く同じ風景だった。
そうか、そういうことだったのか。この同じ場所で誓われたのか。
拉致問題はとんでもなく大きい問題だけどどことなく遠いところでの事件という印象だった。
だけど、自分がその現場に来て今、45年前に若い少女の命を奪うに等しい事件がここで起きたのだと思うと、思わず海に向かって手を合わせ無事の帰国を願わずにはいられなかった。だけど、その 水平線はあまりに遠かった。
「人間としてむなしい。」
横田めぐみさんの母親横田早紀江さんがNHKの取材に答えていらっしゃったときの言葉だ。寄居浜から帰ってきてその言葉を聞いたとき、重みが重みとして伝わってきた。
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新潟市内からまっすぐ西の方向、寄居浜を目指しているといつの間にか足元に現れた。
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