Dai暦25年。

ピンクッション(Pincushion):花言葉は、いつでも、どこでも成功を。
なんとも25期にふさわしい花言葉ですね。そしてその花言葉の由来は、この花の見た目。おしべが空に向かって一斉に勢いよく伸びている様からつけられたようです。人にも花にも勢いっていうかそういうのが大事で、それが成功を予感させるんでしょうね。

当社の会社設立は平成6年9月1日ですから、会社としては第25期目に突入し、満24周年を迎えたことになり、来年はいよいよ満25周年です。すごいなって自分でも感心します。約1/4世紀ですよ。

昨日の朝会()で、満25周年の挨拶を朝会(あさかい)リーダーから求められた僕は、慌ててしまいました。なぜって何も用意していなかったし、25周年と言われて、あれ?そうだっけみたいな感じでした。

ま、それなりにグダグダした話しをしたのですが、もしも期待していてくれた人がいてたら済みませんでした。

そして、この朝会(あさかい)とも関係しますが、朝会の冒頭にリーダーが指名した方がその日の年月日と共に一声、おはようございます!って話します。そして、それに続けて他の人も声を合わせます。

今日で言うとこんな感じです。

”2018年9月5日、あさかい始めます、皆さんおはようございます!”

”お早うございます!”

朝会ではで言う方が大半です。というか全員が西暦です。何でだろう、和暦、元号は嫌なのかな。9月5日って言っている月日の部分は他に言い方はないのですが、その前に付ける年号は何だって良いはず。

僕があいさつするときには、今年であれば、**月**日とか、明治150年**月**日って言い方をします。

昭和93年って言い方をする理由はご存じの方も多いと思いますが、営業に行ったときとかに、相手の生年月日の話題になったときとかに、昭和世代ってことはまだまだ多いですから、その方が昭和50年って言ったら、93-50=43歳ってすぐに分かるわけですね。そういう便利な意味も込めて昭和93年って挨拶したりします。

明治150年**月**日ってのは、一つの区切りでしょ。

それと同時に何だって良いはずというのがあります。別に年号は西暦で言わなければならないと決めているわけでもなんでもないです。キリスト教しか認めていないわけでもなんでもないです。

タイ国のように、あそこはですから、おさんがなくなってから何年というのが年号になっていると思います。キリストが生まれてから何年という西暦とは逆になってるところが面白いですよね。

他にも、だってあるはず。

決めてもいないのにどうしてみんな決まった言い方をするんだろう。

ただ、今度平成が終わって新しい元号が始まった時には、省庁とかは西暦に統一するらしいですね。ま、それは合理性という意味で良いとは思います。コンピュータと年号って、今度のオリンピックに関係してのサマータイム導入云々でも大きく問題になってますし、難しいですよね。

そんなこんなで、自社のに元号とか年号とか考えて思ったの。

今の社会の暦って、宗教的人物、開祖の生まれた年、死んだ年とか、統治者が統治した時代とかが中心になっているのだけど、だったら、だったら、もっとエゴイスティックに設立暦で良いのではないの?

暦25年9月5日、あさかい始めます、皆さんおはようございます!”

あくまで洒落ですからね。

嵐山、台風21号の爪痕です。毎朝チャリンコでこの橋の上を通るわけですが、今朝は欄干がなぎ倒されていました。増水はそこまでなかったので、これは風による力。割と水や風を逃がす構造になっているはずなのにこんなになってしまってます。人や車がこの上を通っていたら軽くとばされていたのでしょうね。
毎年、毎年、この渡月橋が自然の力に倒される頻度が高くなっていっているように思います。
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コメント一覧 (1件)

  • 西暦や和暦が当たり前にカレンダーの中に存在していて、そこに疑問に思うことはありませんでしたが、確かに世界には多くの暦があるのに私たちが2種類のみを使い分けているのに、違和感を覚えました。
    ただ、結婚や創立などは~周年という形で表現されているので、もしかしたら暦とは壮大な歴史にのみ使用される日付であると思いました。

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