右を向いても左を見ても、コミュニケーション、コミュニケーションの文字が踊っています。
それほど今の社会はコミニケーション欠乏症に陥っている、 あるいは多くの人が陥っていると思っているんだと思います。
私たちの会社に応募して来られる方も、”私は前職で培(つちか)ったコミュニケーション能力が自慢です!”というアピールがけっこう目立つのです。
しかしそういう方と実際に話しているとコミュニケーション能力を、相手の言いたいことを理解し言われた人が満足するように動くことだと勘違いされていることに気づきます。
それはコミュニケーションではなく、日本人の得意な”忖度”だと思います。
相手の言いたいことを一生懸命聞いて相手を傷つけないような言葉を選んで返しているだけです。
では、忖度などしないとても身勝手な人間が人間として良いのかと言うとそれも違いますよね。ことほど左様に人間とは難しい生き物です、その人間が作っている人間社会はそれ以上に複雑です。
なので人はその複雑さを解消するためにコミュニケーションという分かりやすい言葉を 使ってしまうのだと思います。
私、思うのですが、コミュニケーションは目的ではないのではと。なのでコミュニケーション能力が高いなんて自慢にできることではないのではと。
コミュニケーションを高める努力なんてあまり意味がないというか全く意味がなくて、そうではなく生きる上でなんらかのことを成し遂げたとき、その人の思いが至った時、振り向いたらそこにあるのがコミニケーションであったということなんじゃないかと思います。