五事を正そうと思って。

書院に掛けてあった「五事を正す」の額。
一番目の貌に引かれました。
”和やかな顔つきでおらなあかんよ”という意味らしいです。
なるほど、それはそやなと早速実践してみましたが、この笑顔のわざとらしさがこの言葉の奥深さと難しさを表していると思います。

「師の学びたるを学ぶ」
こんな言葉があるのかどうか知りません。調べましたがありませんでした。なので何も古文調で言う必要はないわけですが、なんとなくこの方が様になります。
「師の学びたるを学ぶ」
私にとっての師は塾長です。勝手に師と申し上げてますが、という稲盛塾長が作られた塾の私は塾生なので師とお呼びすることは許していただけるはずです。

さて、その塾長の教えは実に広く深いものですが、講話をお聞きしていてもっとも出てくる分野は仏教、次にです。私たち日本人にとって仏教は神道とならんでとても身近ですが陽明学となるとそれほどではありません。

ならばそれを学んでみたいと同じ京都の塾生と日本陽明学の祖、あるいは近江聖人と称えられた中江藤樹を滋賀県の高島に訪ねました。

学びの浅い私としては師が学びたるものを知ることで師の教えにいくらかでも近づきたいと思った一日でした。

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