2022年1月、Blogタイトルを”三智に学ぶ”から”コーラルワークにしました。” ボタン

マクロ的には日本民族は消滅するのでは。

コロナの対応を見ていてそう思うんです、

ワクチン接種をした病院の裏庭にそびえる古木。さて、なんの木でしょうか?秋になると大きな黄色い実をつけます。レモンとか夏みかんのような。だけど、みかんのようにそのまま食べることはできません。硬くて渋みがあるので、シロップやジャム、はちみつ漬け、果実酒とかにすると最高です。渋柿とかもそうですが、そう言えば人間もそうかもしれませんが、そのままでは美味しくないものって手を加えると絶妙なうまさに変身しますね。なんだか食えないような癖のある人間にも言えそうです。
この木の花言葉は「豊麗」、「唯一の恋」です。「豊麗」はその実の豊かさから分かるのだけど、唯一の恋?って。実は、愛と美と性を司るギリシア神話の女神アフロディーテと関係しているらしいです。やるね。
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私たち日本民族は早晩消滅するのではと。

中国武漢から始まったコロナの感染ですが、丸二年経過した今、その同じ中国の北京ではオリンピックが開かれています。その2年間の欧米諸国と日本の明らかな対応の違いから感じるのです、マクロ的には日本民族は消滅するのではと。どこまでがマクロやねんという声は聞こえてきそうですが、そこは突っ込まんといて。

欧米諸国、彼らはコロナと戦っている感じがするのです。全てがとは言えませんが国の規制に対して個人の自由を掲げ戦っている人たちの光景がそれです。これは日本では全く見られない行動です。
また、その規制そのものにしても、現時点で日本よりも一日あたり感染者数でまだまだ上回っている英国がマスク着用義務などを撤廃していってます。隔離対策なども可能なら前倒しで撤廃していくとか、重症者がそんなに増えないしという真っ当な理由です。

それに対して日本はこの2年間どこまでも逃げている感じがするのです。

これを戦争と考えるならば、逃げてたって最終的に相手に勝てばいいのですが、その相手がウィルスとなると人間と人間、国家間の戦争のようなわけにはいきません。何をもって勝利とは言い難いのですが、もしもそれを感染者数や死者数で表すのであれば、いずれも欧米諸国、諸外国に比べ一桁も二桁も少ないこの日本は既に勝利しているように思えるのです。
しかし、なぜか国民の誰もが怯えきっているように見えます。なんだか異常です。勝っているのに喜べないこの状況。

未来には進まず、ただ立ちすくんでいるようです。

今のオミクロン対応を見ていると本当にここまで逃げていいのかです。
厚生労働省に感染症対策を助言する専門家組織「アドバイザリーボード(AB)」がありますが、そこによると60歳以下での致死率はは0とのことです。ゼロです。と言うのに、小学生にワクチンをうたせ、3歳以上の子供にマスクをさせようとしている。ゼロは何倍してもゼロなのに……。

コロナで死んだ人間はいないけど、ワクチンの副反応で亡くなった人間は確実に存在している。なのにそこまでやって健康な人にワクチンを打つってどういうことなんだろうか。
もちろん、高齢者や基礎疾患のある方はコロナには限らずちょっとしたことが致命的となるのでそれなりのケアは必要です。しかし、今からまだ半世紀以上生き続けるかもしれない人間に長期的な副反応は何も分かっていないものを接種して良いのでしょうか。

日本においては、コロナを打つ人たちは、どちらかと言うとこれまた同調圧力ではないかと言う気もしたりするのです。日本社会に蔓延する同調圧力症候群という一連の病です。ワクチンを打たなくて感染してしまったらバッシングされてしまうという恐怖がまん延しているようです。ウィルスへの恐怖よりもそちらの方が上回ってしまっているのではないか。

そうするとこれは感染症の問題ではなく社会の問題です。

3才以上のこどもにはマスク推奨と出ているようですが、これも狂気の沙汰としか思えません。感染さえしなかったら死んでも良いと言っているようです。既に2才未満のマスク着用がいかに危険であるかは日本小児科学会などが意見表明しています。では、3才なら良いのか?

大切な幼児期に顔の下半分をマスクで覆われてしまった子供たちの人間力はどういう風に育つんだろう。 母親の口元を見て子供はいろんなものを学んでいくはずなのに。

ウィルスの共生ともそうだけど、それ以前に社会が負けてしまうような気がする。

どうも今の岸田政権は菅前首相がコロナ対応で批判を浴びながら退陣していったことがトラウマにでもなっているようです。

ウイルスは私たち生物にとって単に「感染する」のみの存在だったかというと、そうではないらしい。「生物の進化を促す」働きがあることも、近年の研究から分かってきた。

ウィルスとの共生が意味すること

過去の感染の歴史を見るまでもなく、近年ではスペイン風邪の大流行などそこには人類とウィルスとのあくなき戦いの歴史がありました。
進化生物学・生物地理学(本の奥付見ていて気付きましたがこんな分野があるのね)の大家として人間味溢れるその人柄で人気のジャレド・ダイアモンドの著作「銃・病原菌・鉄」を持ち出すまでもなく、ウィルスはコテンパンに私たち人類をいためつけ、時には古代文明を民族もろとも滅ぼしてしまいました。正にウィルスは敵です。

では、ウイルスは私たち生物にとって単に「感染する」のみの存在だったかというと、どうもそうではないようです。私たちも含めた生物の進化を促す働きがあることも、近年の研究から分かってきています。生物のゲノムの中にはウイルスのゲノムに由来する領域があるようです。つまり戦ってはきたのだけど、その過程でうまく彼らを取り込みそして進化していったと。

有名なこれは人類の進歩と考えるならば生物の進化はウィルスとの戦いであった事は間違いないでしょう。そして人類としてそこと戦っていた人類が、ウィルスそのものを自己の細胞内に 蓄えて進化していったのではないかと言う気がするのです。

やがてはウィルスとの戦いも終焉を迎えるなとは思いますが、長い時間、つまりマクロ的に見るとこんな戦いを続けた日本民族は、社会の発展からも進化の目的からも見放されてしまうのではないかと強い危惧をいだくのです。

今、私たちの会社はテレワークを開始してテレワークで仕事をするようになってもう丸二年となりました。コロナとともに働き方が進化していってるように思います。でもそれは実に恵まれた環境だからできていることで、このウィルスは社会的に弱いものから苦しみを与えているように思いますエッセンシャルワーカーに見られるようにもう私たちもそろそろ逃げるのはやめて立ち向かっていかないといけないのではと思う今日この頃です。

個人レベルで見るとウィルスは恐怖の対象でしかないのですが、人類全体、社会全体で見ていくとそれを進化の過程へと導いて行くものでもあったりします。だから、ウィルスへの対策などは無用だやってはいけないなどというのではまったくありません。過度な防衛は慎むべきではないかです。

人類が安全なジャングルを飛び出し二足歩行を始めたことで今の繁栄がある。飛び出さずそのままであれば今もチンパンジーたちと変わらぬ生活をしていたことでしょう。

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