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日本で最初の小学校です

京都市学校歴史博物館前。まだ開館前なので施錠されているというのもあるけども、京都には緊急事態宣言が出ていて、開館前でなくとも來月上旬9月12日までは閉館の予定だそうだ。
入り口にはお約束のように二宮金次郎像があった。しかし、「番組小学校」が建てられた明治2年には果たして金次郎像はあったのだろうか。

教育手当を増やした動機のようなもの

私たちの会社では、教育手当を今期から倍額としました。子ども一人当たり15,000円の手当て(パートアルバイトさんは半額)にしたわけですけど、今日の朝会(アサカイ)はちょっとそのことと関係しそうな場所から参加しました。「京都市学校歴史博物館」前からの アサカイ(朝会)です。

明治維新直後の京都は、鳥羽伏見の戦い戊辰戦争と続いた戦乱のあおりを受けて、市街地のほとんどが焼失しとても荒廃していたといいます。おまけに平安の昔からずっといらっしゃった天皇さんが東京に行ってしまい、首都としての役割も終わってしまいました。天皇さんがいてこその京都であったわけで、”京”ですらなくなる衝撃でしょう。天皇さんを中心にそれを公家がとりまき、それを相手にしていた商売人は中心の方がいなくなったわけですから、皆さん一斉に東京に一緒について行かれたわけです。
京都の町衆のボヤキが聞こえてきそうです。

「よー、聞いてくれはったなー。天皇さんおらへんようになってしまいましたやろ。ぽっかり穴が空いてもうたなんてもんやおまへんかったんどすぇ。おまけにお公家さんいうたらあの人らーはお金を落とす人らどしたやろ、あきんどはお金を作る人らーでもあったわけやんか、そんなんがぜーんぶこの都からいっぺんにおらんようになったんや。お金を使うてくれる人、お金を回してくれる人らがいっぺんにおらんようになってしもうたわけですわ。わてらおまんまどうやって食うてったらええねんいうかんじですわ。当時のこと思うたら京都はもうどないもこないもしようがおまへんどしたえー。」

こんな 感じではなかったかと想像します。はい、想像です。

しかし、そんなもぬけの殻の都で町衆がやったのが、「教育革命、電力革命」だったのです。

いわゆる学制(がくせい)というのがあります。明治5年8月2日(1872年9月4日)に太政官より発せられました。大学校・中学校・小学校を設置することを計画し、身分・性別に区別なく国民皆学を目指した。
日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。

そんな命令が出る3年もまえの明治2年に日本初の小学校がここ京都に誕生したのでした。
当時、京都の町は上京と下京で64の町に分かれていて、これを人々は番組と呼んでました。その番組ごとに小学校作っていったんです。そのため名称も「番組小学校」

国の命令が出る前に作っちゃってるわけですから、当然それらは全て自費ですよねほとんどが自費であったはずです。つまり京都の町衆はもぬけの殻になった京都に、おそらくお金もなかっただろうに、そんな中でお金を出し合って63校(番組の数は64だけど小学校の数は63校)もの小学校を作り、 そしてそこは、3年後の学制にうたわれているようにすべての子どもが通える学校であったわけです。建設費と運営資金の多くは番組内の町衆が出資し作り上げた自分たちの小学校が地域ごとにできあがったのです。

今、私がアサカイに参加しているこの場所は京都市立開智小学校(明治2年6月・下京第11番組小学校として開校)の施設を改修整備して博物館として開設したものです。あいにくここ京都も緊急非常事態宣言が出ていて来月半ばまでは閉館のようですが、外観だけでも当時の雰囲気は感じられます。

明治のほんとに初期の頃、京都の町衆は地域ぐるみで未来を担う子どもたちの教育に力を注ぎました。

子どもを守り育てる社会

そして、今です。

日本は経済的にも国力的にも大きな曲がり角に来ているのは誰の目にも明らかです、先進国中日本だけが不振にあえいでいます。限られた予算の中で国の教育予算は削られる一方です。 少子高齢化を運命づけられた日本には打開策はないように見えます。

そんな様子が、私には明治の初めの京都と今の日本がダブって見えます。

会社は社会の公器であると同時に一種のスモールワールドであるとも言えるでしょう。子供は社会で育てていくんだ、社会の宝なんだという意識をほんとに持っていかないとこの日本という国は経済危機より先に崩壊していくでしょう。すでにもう始まっています。

今を耐えてでも未来に投資していく姿勢は必要なのではと思うわけです。

では、教育手当は子どものいない家庭に対してはどうなんだ、不公平ではないかという意見は当然あるものと思います。会社によってはそういった手当ては一切廃止するかそもそも設けていないところがあることも承知しています。
それについては、国も様々であれば会社もそうなのだとしか答えようがありません。
私たちの会社では子どもは社会の宝である、みんなで育てていくものだという意識を持っていただきたくて今回の制度改革となりました。そしてそれを伝えるにはこの場所こそが最もふさわしいと考えアサカイに参加しました。