入社間もない方がちょっと困ったり、行き詰まったりしたときの常套句があります。
「私はなんの知識もなくて恥ずかしい、早く皆さんに追いつくように頑張ります。」
それに対して、毎度のことに言うのが、
「知識はあるに越したことはないけれど、ないことを憂いても仕方がない。それに、君は追いつこう追いつこうとしているけど、それはなんのためなの? 皆さんに迷惑を掛けまいとしてそう考えているのであれば、それは間違いだよ。
むしろ、迷惑を掛けれるだけの勇気を持たなければならない。
それに、君とは違う個性の人に追いつくことになんの意味があるだろうか、仮に追いついてしまったら、その後はどうするの?
追いつくべきは君自身にであって、君の心のポーラスターに向かって歩んで行けば、それが教養となり、知識は自然にたまっていくのだよ。」
なんてことを話します。
心のポーラスターなど、いささか面映ゆい表現ですが真にそう思うのです。
こんなことを話した数日後、「なんとなくきのわきさんの仰ることが分かって来たような気がします。皆さんに迷惑を掛ける勇気を持たなきゃダメですね、でも、知識と智恵の違いがもう一つ分からないのです」と彼女が言ってきました。
> 知恵っていうとおばあちゃんの知恵袋というくらいなので
> 知識とはまた違う経験に基づいたもので、
> 異なるものかなと思いました。それに対しては、まー、knowledge と wisdom の違いでしょぐらいでお茶を濁しました。
本当は智恵も般若の智恵、パンニャぐらいにいけば見えてくるのでしょうが自分自身そこまで分かってないからです。
しかし、彼女とのやり取りを通じて、知識と教養は点と線の関係のようなものではなかろうかと思えてきました。
僕は、知識と教養の違いについて度々話しています。それはやはり、教養のない人間には大きな仕事はできないし、わたしたちの会社の業容を高めていくためには自分も含めて教養が高くないとむずかしいと感じるからです。
「教養とは、知識と知識を結びつける、点と点とを結んでいく線のようなもの、それが教養なのではないかと。と言って、闇雲に結んでいってもダメで、それは心のポーラスターに従わねばなりません。そのポーラスターに従うのが人生であり、そのポーラスターを探すのが生きていくってことではないかと。だから、点はある程度あった方が良いんですね、余りに少ないと線を結ぶことができませんから。でも点だけあってもそれをつなぐ線が引けなければ何にもならないのだけど、その線を引くためには心の座標軸が必要なんですね。」
なんてことを新人の子との会話で思ったのでした。
**さん、ありがとう。
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コメント一覧 (1件)
点が自分の中に散らばっていて、日々の積み重ねでそこに線がつながれていく感覚はあります。ですので、やはり点だけがあっても仕方ないけれど、線をつなぐために点もある程度必要なのだと私も思います。
点と線がつながってはじめて自分自身の成長につながるので、日々努力だなと。