2022年1月、Blogタイトルを”三智に学ぶ”から”コーラルワークにしました。” ボタン

調べないお作法も必要じゃないかと。

トキワ荘、言わずと知れた漫画の聖地。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫たちがある時期同時にここに暮らしていた。才能が才能を呼び、人が人を呼んでいった。正にリファラルだ。

今日のアサカイのトピックは様々だった。今度の社員総会日時の決定やそこで話し合われる僕たちのバリューの前提となるミッション、ビジョンの話しなどがあった。

その中で、東海地区にお住まいのメンバーから中日新聞の一面にトヨタがリファラル採用に本腰を入れ始めたって記事がでてましたよって話題提供があった。彼女がそれを話題にしたのは来月私たちの会社に正にそのリファラルで入社してこられる方がいるためだった。

ここまでは良いんだ。
ただ、その直後、あるメンバーから”リファラル”って分からなくて調べたんですけど、知り合いの方の採用とかってことでしょうか?
と手が挙がった。
普通の会社であればこれはなんてことのない日常の風景だと思う。分からないことは調べて、ある程度自分に知識を放り込んでから質問。一般的なマナーだと思う。

だけど、僕はこれは彼女には悪いがこの場面においてはバッドマナーだと思う。

業務では調べなければならない、徹底的に調べてお客さまや取引先の疑問に答えていかなければならない。でも今はアサカイの場、社内の人しかここにはいない。この場で重要なのは調べる力ではなく、聞く力、問う力なんだ。

もしも、このやりとりを新人のメンバーが見たらどう感じるだろうか。自分も質問の前には調べなければいけないと思ってしまうのではないだろうか。人間てそんなもんなんでそれがその会社の文化になってしまう。郷に入れば郷に従えで若い人ほど素直にその掟(おきて)に従ってしまう。
その結果どうなるんだろう。みんなが調べてみんながその場で納得してしまったら、もうこうやって顔を合わせることすら意味がないようになってしまうんじゃないだろうか。

インターネットの前、僕たちのころには調べることってとても推奨された。受験勉強なんてほとんど調べることに時間を費やしてたんじゃないだろうか。調べるためには図書館に行って膨大な資料に当たらなきゃいけないし、その中から目的の情報を探し出すにはそれなりの技術が求められた。
だけど今は違う。図書館何万カ所分がもうネットの中に入ってしまってるおさまってしまってる。それを指先一つで寝ながらにして取れてしまう。調べる技術は昔ほど重要ではない。それはもう大したことではなくてその情報を使って人間はどう考えるかの方が意味があることに意味の価値が移ってきてしまっている。

調べない勇気、今はこれが必要とされているように思う。これ何度も言ってるなー

本題とは関係ありませんが、このリファラル採用って良いことばかりみたいなんだけど、どうなんでしょうか。
もともと知り合いということであれば信用スコアー高いですし、核家族化がすすみ地域のコミュニティーが失われた今となってはリファラルが新しいコミュニティーの代替機能を持つのかもしれないですし、良いことばっかりのような気はするんです。だけどそうとばかりも言えないように思うのです。
この採用は一方でいわゆる機会の均等を奪いかねないですし、ひいては多様性すら失いかねない。それが社会の固定化、社会階層の固定化、社会の分断にもつながっていくのではという危惧もあります。なのに日本を代表する大手企業が私たちリファラルやりますよって宣言してしまってる。いいのかなー。
金持ちの友達はやっぱり金持ちだし、賢い子の友達は賢かったりしますから心配です。
ただ、僕のお友達にはお金持ちの人いないし、賢い人もいないようです。こっちの方が個人的には心配かも。2022/05/28追記

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