ドギーバッグのことでメールしました

僕はよく仕事以外のことで社員さんにメールします。

昨日送ったメールは割と自分や会社を表しているので、

そのままブログに投稿したいと思います。

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昨日は皆さん新人歓迎会楽しかったね。
幹事の**ちゃんと、**君はホントお疲れさんでした。

僕は、帰り際に食べ物が余っていたので、お店の人に余ったものは持ち帰っても良いですか?とお尋ねしましたが、大抵、食中毒の危険性など、衛生上の観点から断られます。
この日もそうでした。

なんだか自己都合的だなとも思いますが、これはお店の側としては仕方がないと思います。

そうい場合に備えて、僕は自家製をいつも持ち歩いていて、やおらそれを取り出して、食べ物を詰めようとしました。

そこで、ドギーバッグって知ってますか?ってお店の人や周りの人に尋ねたけれど、皆さんこの言葉すら知らないという様子でした。

これには、僕は軽いショックを覚えました。

そんなものかなとも思うけれど、ドギーバッグのこととかに関する知識は、社会人としては知っておかなければならないんじゃないかなーと思うので、記します。

僕の言う社会人とは、社会を意識する人間という意味です。子どもは保護者の庇護の元にあり社会は意識しません。もっと幼いと自己認識すらありません。

そういう意味で、大人=社会人です。
そして、会社=<社会
と僕はとらえ、会社を経営しています。
だから、ドギーバッグについて記します。

僕の実践としては、このドギーバッグは結構値段が高いので、冷凍にも耐えるジップロックを使っています。これは一枚15円程度で使い回しができるし、そのまま冷凍できます。嵩張らないので鞄の中に入れていても気になりません。

昨日は、豚のステーキが結構余ってたので、これをジップロックに詰めて持ち帰りました。

食べ物を残すのは勿体ないのは勿論なんだけど、特に動物性のものの場合には、そこで明らかに命を頂いているので、少し次元が違います。あのレストラン全体で一体どれだけの豚肉が消費されたか分かりませんが、皆が本当に食べたい分だけ注文したら、何頭かの豚は殺されずに済んだはずです。

人は生きていく限りは、他の生を頂いて己が生を維持するしかありません。ならば、頂いた生はありがたく食べきらなければならないのではないかと思うのです。

そして、どうしてもその場で食べきることができなかったら、家に持ち帰り、食すべきです。それが犬の餌であっても、かの豚肉は食べられるために死んだのだから、犬に食べられることは本望ではないかと思うのです。

と、偉そうなことを言ってますが、自分自身も二十代でそのような意識は無かったです。やはり、自分自身が家庭を持ち、子どもという新しい生の守り役となったり、親しい人の死に接したりして、徐々に考えに染みこんできたのだと思います。

僕は皆さんにドギーバッグを持ち歩いてほしいなどというつもりは毛頭ありません。思想的な押しつけになりかねないのでそれはやってはいけないことだと思います。

ただ、ドギーバッグという言葉には、先ほど述べたような、環境や社会、命や宗教的な意味が込められているので、一社会人として「これぐらいの言葉は知っておいてほしい」ということでこのメールを書きました。

アベノミックスやTPPなどと同じレベルで社会人の一般として知っておいてほしいということです。

倫理を声高に喋っているようで、少し気恥ずかしいです。自らも知らないことはまだまだたくさんあります。だけど、このことは先にも書いたように、自分の経営観とも関わることなので、敢えて述べさせてもらいました。

皆さん、日々勉強でございます。ガンバリマショウ。

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Comment

コメント一覧 (1件)

  • コメント失礼致します。

    ドギーバッグ、知りませんでした。
    食べ物を大事にするというのは当たり前のことです。
    いただく命だけでなく、そこのには育てた人、運ぶ人、調理した人、
    沢山の人が関わっています。食べるというのは、その全てに感謝すること
    だと思います。
    私は食べられる量だけを頼んで、もし自分が食べられないのであれば
    一緒にいる人にお願いします。
    ドギーバッグ、粗末にしない良い方法だと思いますが、
    その場で食べる前提で作っているので、美味しい直ぐのうちに
    食べてもらいたいというのがありますから、なるべくその場で
    食べてしまいたいですね。

    一般的に必要なことはもっともっとたくさんあるのでしょうね。
    周りに目を向けていきたいですね。

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