征夷大将軍という職は、鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を通じて、日本の最高権力者を意味していました。源頼朝、足利尊氏、義満、徳川家康もみんな征夷大将軍ですね。この意味自体は、征夷(蝦夷を討つ)将軍という意味しかありませんが、それが最高権力者を意味するようになった元をたどっていくと、坂上田村麻呂に行き着きます。
その田村麻呂が仏殿を建立したと伝えられるのが世界文化遺産・清水寺。
私の出身は京都です。営業として働いています。
僕が誇りに思う人物は、「坂上田村麻呂」です。皆さん一度は聞いたことはあると思います。歴史の教科書には出てきますが、あまりなじみのない人物でしょう。京都の皆さんにとって、一番とっつきやすいところで言えば、あの連日観光客で賑わっている清水寺を建てた人物だとされていますので、これでどうでしょうか。
この坂上田村麻呂が活躍したのは平安時代の初めですが、何と言っても有名なのは征夷大将軍という役職に初めて(厳密には2人目)任命された人物であるということでしょう。
ここでいう征夷というのは蝦夷討伐ということで、蝦夷ってなんだと言えば当時においては完全に外国、異国です。
平安京に遷都したばかりの桓武天皇にとって、この異国からの脅威を追い払うと同時に自国に組み入れることは、とても重要な政策課題であったはずです。
東北地方は今でこそ僕たちは同じ日本として認識していますが、その頃は東北や北海道は別の統治下における異国という認識だったでしょう。
島国である日本で生活しているとなかなかそういった感覚を持ちにくいと思いますが、自分自身はこの坂上田村麻呂の蝦夷討伐がきっかけになって、日本人自身が国が違うということであったり、言ってみればグローバル性のような感覚を意識しはじめたんじゃないかと思うんです。
坂上田村麻呂の人物伝やその平安京の歴史などはそれぞれで調べてもらったら良いと思います。有名な人物なのでそれなりに一杯出てくると思います。
僕が言いたいのは、今、盛んにニュースとかで出てくるグローバリズムの問題であり可能性のような、僕たち日本人が避けて通ることのできないことの最初のきっかけにいた人物、それが「坂上田村麻呂」であったのではないかということです。
誇り(Proud)に思うというのとも違うかも知れませんが、同じ郷土の人物として取り上げさせてもらいました。
以上。
今日発表してくれた彼は、入社早々に一ヶ月の休暇を取り、新婚旅行で世界一周に出かけたり、人が成長するために欠かせないのは本を読むか、旅に出るかだと唱えたりと、自分自身が成長することに貪欲な男だと思えます。そんな京都出身の彼にとっての「坂上田村麻呂」はちょっと他の人物評とは違う視点でしたね。
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コメント一覧 (1件)
私は中国からの留学生です。上記の記事拝見しまして、感動で胸が一杯です。筆者は文末に『グローバリズムというのは最早日本にとって避けて通れない事』というふうに書いてますが、私はこれは日本だけではなく、世の中の全ての国々にとっても避けて通れないと思います。文章の中で坂上田村麻呂 、征夷大将軍、蝦夷征伐といった歴史人物、役職名、事件を取り上げてますが、中国人としては凄く馴染みのことです。私大好きな中国春秋戦国時代でも全く同じことです。当時の中国の中心は黄河流域にあり、その周りの地域に暮らしている人々が蛮夷と呼ばれています。というのは、当時の北京や上海、重慶、広州に暮らしている人々が蛮夷と呼ばれ、彼たちは中国人ではないというのは当時の認識でした。しかし数千年後の今上記の都市は全て中国の都市となり、みんな中国人だと認識しているわけです。これは数千年前の中国人の認識とは違います。これも一種のグローバル化だと思います。今の中国は数千年のグローバル化によりできています。というわけで今の世界で200以上の国が存在していますが、数千年後は一つの国なる可能性があるか、私は全く可能性ないわけではないと思います。人類の歴史はグローバル化の歴史だ、技術はそのグローバル化を推進している、これからもグルーバル化していく、この歴史で証明された必然傾向の中で誰でも避けて通れないと思います。