Companyから会社へ。

下手クソな板書やなー。
僕は人に字の注意をよくするんだけど、それがいかに説得力がないかがよく分かります。
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制度を見ると会社が分かる気がする

写真は、今日のアサカイの板書です。

板書の左上に「」という小さく書かれた文字が見えるかと思います。
昨日、この制度を廃止したいと利用しているメンバーに伝えたんです。伝えはしたんですが、どうも廃止する理由というのがあまり理解されていない感じがしたので、今日のアサカイでもう一度取り上げました。
だけど、発端は「借り上げ社宅」という言ってみれば数ある制度のうちの1つの説明にしか過ぎなかったんだけど、これをちゃんと説明しようとすると結構大きな話となってしまって図はどんどん下へ右へと広がっていってしまいました。

会社の制度ってのは会社のあり方にとても深く関係しているはずです。
これを社会と言いかえて少し大きな、この場にとっては大袈裟な話をします。

先進国と言われる中で、死刑制度が存続ししかもそれが執行されているのは日本と米国ぐらい。
しかも、バイデン政権は廃止を公約として掲げ、執行停止を最近命じました。
最近何かと話題のも同様かと思います。

このように日本人はどうも死刑執行のようなことに対する感覚とか氏や名前、男女の性別に関する家族感のようなものが他の先進国 とは異なっているようです。そのためこの制度が海外からはは奇異の目で見られるのだと思います。しかし私たち国民の大部分はそれをおかしいと思ってないという現実です。思っていれば法律は変わっているはずです。

つまり法律というのがその国民性をよく表しているように、会社における制度というのもまたその会社に働く人々や会社そのものをよく表していると思うのです。
一方で、会社とは「稼ぎと分配」であり、その稼いだものをどこへ投じていくかが制度にも反映していますから、せっかく自分ががんばって稼いだ金の使い途、つまり制度が気に食わなければ会社に長居されることはないでしょうし、その制度が理解され納得いくものであればそこで存分に力を発揮されると思います。
制度の最たるものが給料です。
会社として人件費にいくらを割いているのかって会社のあり方をとても強く表していると思います。一般的に「労働分配率」と言われるもので、決算書からそれを読み解くと会社の姿勢が見えてきます。ただ、この労働分配率の妥当性となるとこれは極めて難しいですね。業種によって大きくちがいますし、会社の規模によっても違います。目先の目標、つまり数年後に会社をどの位置にもっていきたいのかという目標によっても違いますから、「労働分配率」を正しく理解するためにはその用語理解では全くダメで、自社の環境や自社を取り巻く環境、引いては世界の労働環境みたいなものまで理解しながら見ていく必要があります。
私たちの会社では四半期毎に全社員を対象にそういった勉強を兼ねて自社の決算書を公開しみんなで勉強しています。
少し脇道にそれましたが再び制度で申し上げると正社員をどう定義し、アルバイトとの関係はどうなのかとかも重要です。
他にも休日や休暇日数、就業時間は多いの少ないの?
それとかいろんな手当はどうなってる?
これからの少子高齢化で議論がのように繰り返されているの問題、それも含めてダイバーシティに積極的に取り組んでいるか等々それらは会社の思想をとても表しているはずです。

今回は「借り上げ社宅」から始まったことですが、これを機会に、私たちが始めた的働き方も満1年を過ぎたのでそれも含めて働き方に対してまとめてお話しさせていただきたいと思います。

会社の英訳はカンパニーじゃないかも

会社って英語にするとカンパニーとかコーポレーションって言いますよね。そのカンパニーのは Com+Panyで最初のComが一緒にとか、共にという意味を表す英語の接頭辞で、後ろのPanyはイタリア語のパニーニですけどもパンの語源だというのはご存じの方も多いと思います。
2つがくっついてカンパニーとは、一緒にご飯を食べる人の組織みたいなもの、それがカンパニーだと思います。コーポレーションに至ってはもっとわかりやすくて一緒に作業する人オペレーションする人達との組織がコーポレーションなんでしょう。
私は初めてこのカンパニーの語源を知ったときには、この言葉は本当に会社というものを表してるなぁ、私たちは共同体なんだ一緒に稼いで一緒にご飯を食べる人たちなんだと思ったものでした。妙に腑に落ちたのを覚えています。

では、日本語での「会社」はどういう意味になるんでしょうか。
私たち日本人には簡単にわかります。 漢字そのまんまです。
的に返り読みすると、社(ヤシロ)で会うですね。
では、この社(ヤシロ)と なんでしょうか。神社の社ですから、社そのものは神様の住まいということになります。
つまり会社とは神様の住まいで皆が会っている状態なんですね!(これは私の勝手な解釈です、 ここで突っ込まれると困ります。)

このように会社とカンパニーは、その機能的なものや社会的な存在としてはほぼ同じものと言っていいでしょうが単語をばらしていってその成り立ちまで見ていくと違ったものだということはよくわかります。
各国によって法律が違うので、厳密には全く同じ機能であるとは言えないし組織の形も多少は違っているでしょう。しかし式会社と言ったときにはほぼ同じですね。
そして、ここで取り上げたいのは語源の方なんです。
このようにことばの成り立ちが全然違う2つの単語これについて考えていくととても面白いことに気づいたのでした。

カンパニーから会社へ

結論から申し上げると、このカンパニーやコーポレーションがインターネットの力やこのを通じて日本語で言うところの「会社」に変わってきてるんじゃないかっていうのが私の認識です。
変わってきていると言うよりも、私自身がそうありたいなと思って今やってますよ、です。

30年近く前に創業してからずっと今のこの会社のあり方に疑問があり、出版業で創業してから今ではITの会社になってそしてCOVID-19を契機として フルリモートに入ってきました。そしてフルリモートに入ってメンバーのみなさん、私も含めてですけども私たちの働き方を見たときにここにむちゃくちゃ可能性が見えてきたんです。
この働き方ってずっと探してきたものだったんちゃう?
でした。

会社とメンバー、会社とどちらかが偉いとかどちらかが偉くないでもないし、どちらかが豊かになって、その結果どちらかが豊かにならないなんてそれはだめなわけですね。両方の幸せを願って動いて達成していかなきゃいけない。
そんな時に会社の形、あり方ってとても大切で、どういう形がいいんだろうってことを考えていたときに、この板書で言うと左のほうから右のほうに今私たちは 行こうとしてるんじゃないか、私自身は行きたいなと思ってるというそういうスケッチです。

スケッチ解説

少し解説させてください。
先ず、タイトルの「Companyから会社へ。」というのは、なんやそれどっちとも会社のことやんかと突っ込まれそうですが、先述しましたように、飜訳するとそうなんですが、語源までいくと全然その成り立ちは違うので語源的にという意味です。
繰り返しですが、私たちは昨年の7月から完全にテレワーク、リモートワークという形をとっていて私も含めてメンバーの大半はもう1年以上会社に出社していませんし、リアルに顔合わせたりリアルで話をしたりすることは全くありません。
しかし、当然ですが毎日”顔は合わせている”のです、しかもオフィス勤務の時以上に。濃厚さで言えばきっと今の方が濃厚ではないかと思えるぐらいです。
オフィス勤務からテレワークに変わってきて単純に働く場所がオフィスから自宅に変わったわけですけども、実際に変わったのはそれだけではなく、なんだか全てが逆になったような、価値が逆転してしまったようなそんな印象です。
そしてその印象を言葉にすると、まるでカンパニーから会社へのように思えたわけです。

一緒にパンを食べることはなくなった

図の左上からですけど”Com”はこれは共にとか一緒にって意味ですけども従来のオフィス勤務の場合にはこの”Com”を実現するために従業員が各人の自宅から会社に出社しComしていたわけです。
その様子を上から見たもの が、この図になります。
「借り上げ社宅」という制度も、このオフィス勤務を前提として作られたものでした。つまり会社の近くに住んでくれるメンバーに対しては、会社としては通勤手当少なくなりますし、通勤時間も短くなるので、言ってみれば会社にとって都合が良いので家賃を補助しましょうというものでした。もちろんそれを利用するメンバーにとっても都合は良いのだろうと思います。
都心に割りと廉価な家賃で住むことができるわけですからね。若いときは都会が良いですよね、何かと刺激があって。
こういう風に、オフィス勤務の時には、会社にとっては都合良く、メンバーは経済的にも優遇されていたということになります。

そのオフィス勤務の様子を、組織として表現したのだその下の図になります。
ご覧のようにいわゆるピラミッド構造になってます。組織なので当然と言えば当然です。
一番上にある四角で囲ったPanyはお話ししたようにパンのことですが、会社組織でいったらちょうど「資本」と言いかえても良いでしょう。資本の下に会社組織が作られ、従業員が集まって、そこで給料という形のパンが配られていきます。
従来の形、というか今でもこれがもっともポピュラーな形だと思います。資本主義における会社とはこういうものです。
そしてこれを精神的なもの全体を流れる大きな心の流れで表すと他律であり他走とも言えるのではと思います。

ネットが変革を可能にし

そんな私たちの世界にインターネットがやってきて徐々に影響力を強め、もうネット無しの経済活動も社会生活も考えられなくなって四半世紀が経ちました。
ネットの力は従来の制度や仕組みを破壊しながら新たなものを作り出しています。会社組織においても垂直統合的であったものを徐々に水平分散的方向に向かわせているように思えます。
ちょうど今から十年前に起きたアラブの春などはその最も典型的なものと言えるでしょう。アフリカ北部チュニジアのジャスミン革命は瞬く間に中東全域にまで広がり、幾つもの政権が倒れていきいまだ混沌とした情勢になっています。
そんな中、今度は私たちはCOVID-19によって新たな世界観の構築を迫られているように思えます。

COVID-19によって変革を迫られた

わずか2年前中国の武漢から始まったといわれるウィルスの勢いはオリンピックの開催を一年遅らせ、やっと開催できたその国は第5波に襲われロックダウン止む無しとの声すら出てきている状況です。
私たちも昨年の2月から在宅勤務を始め7月にはこれを恒常的な働き方とすると宣言して早や一年が経ちました。
1年が経ってみて恒常的な働き方とするとの宣言は今のところ正解ではなかったかと思っています。だから、こんな解説をしているとも言えます。

しかし私たちの制度はまだ会社の組織もそうですけども従来オフィス勤務をしていた頃とそれほど変わっていません。ただ、働き方だけが変わったので、今回の「借り上げ社宅」廃止のように、古い制度が意味も無く残ってしまっているのです。
私たちは意識を変える必要もありますが制度も変えていく必要もあるわけです。

ただ、借り上げ社宅自体はとても有用な制度です。いわゆる税制面ではとても有用なのですがこれもオフィス勤務を前提としたものなのでなかなか素直に活用というのは難しいのです。

さて、この流れの先は。

続く……。
ちょっと時間がなくなりました。続きは後日ということで。

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