会社に雑務なんて仕事はないはず。

日本は本当に自然災害の多い国だ。中でも河川の氾濫には毎年毎年、日本全国どこかしらが被害に遭っている。 それは明治の頃は今よりももっと深刻であったろうと想像する。
ここは1887年(明治20年)から1912年(明治45年)と足かけ25年わたって行われた木曽三川完全分流工事の現場だ。
計画書を作成したのはオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケ。
工事の結果、水害による死者は306人から10人へ、全壊家屋または流失家屋は15,436軒から304軒へ、堤防の決壊箇所は1821箇所から箇所へと激減したという。
これだけの命、これだけの生活を救った事業になどは微塵も存在しなかったのではないだろうか。

雑務が存在してはいけないね。

会社内で、この雑務は誰がやる?じゃー、オレがやるよ。その代わりこの雑務は頼む。分かりました、私がやります。
なんて会話がありました。

聞いていて、それはおかしいなと思いました。
会社に雑務なんてあるはずないし、あってはいけないのではないか。それに雑務と言われてそれを押し付けられた人間はどんな気持ちになるのだろうか、と妙な気分になりました。

きれいごとではなく、雑務はあってはならない。

もしあるとしたら、それは会社の事業目的に沿っていないもの、それが雑務なんだろうと思う。会社のに沿いながら、その目的を達成するためのに雑務は存在しない。

”私は何年も勤めているのにばかりやらされている!”
”私はまだ新人なので雑用やらされるの平気です!”

そんな会話が始まったら会社は要注意ではないでしょうか。

長年勤めている人がそれを雑用だと思っている時点で会社は方向を示せてないことになります。
新人=雑用係という一種の封建的思考は会社を硬直化させるでしょう。

雑用や雑務がもし存在するのであれば、それは真っ先に整理し、この会社には雑務なんてないんだ!とみんなが思えるような会社にしたいものだと思います。

雑務、雑用、雑事。”雑”のつく言葉はいっぱいありますが、それは謙遜の意味を持って使われる場合もあると思います。つまりそれを雑としているのか、最も大切なものとしているのかはそこに向き合っている人の心次第ということになると思います。

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