少年よ大志をいだけ! その後は…。

AL:17才ー新聞記事ピック:2023/5/17/Mon. 【P31/社会面】生成AI、授業で活用探る

今日の朝会リーダーは17才。
僕は札幌2日目、が居住していたところをみんなに見せたくて外からタブレットで参加なので朝会の新聞記事ピックのところはあまり把握できませんでした。
戸外からの参加だと、どうしても電波状況が悪かったり、通行人を気にしたり、交通の音が入ってきたりで家の中やホテルの一室で参加するのとは違いますね。
だけど、やっぱり札幌まで来てるのでそこが分かる場所から参加したいし、メンバーにもその様子を見せてあげたいって気持ちがあります。
と言うところで記事の感じはどうだったのか皆さんのから想像させてもらいます。


新人研修に、という所はそうなんだけど、そのプロンプトを入れるにも発想力が大事だなと使ってみて痛感している所なので発想力を支えるための基礎知識や教養、みたいなところも並行してやっていく必要があるなと思っています。
パ!:
生成を使った新人研修の提案
朝練→振り返り
理由の深堀り、これは慣れないといけない…
重ねていきます
テラ:
クラーク博士の話。
言ってるんだろうなぁ。こんなおっさんもやってるんだからやってみや!って。
(シュ、シュワッチさん…に似てる?)
ハニワ:
AIを教育に使えるか云々の話思ってる以上に各チームからネガティブな意見が出て、なんだか分からないがショックを受けた。
17才:
生成AI授業で活用探る
文部科学省が教育におけるAIの利用についての指針作りを本格化し、
夏までに公表する予定。その背景にはデジタル活用力を育成する狙いという記事。
この記事を読んで、新人の方が触れる環境を作ることで触ったことない人でもChatGPTに慣れやすくなったらと思い新人教育の時から、何か取り入れていけたらいいなとピックしました。
私もそうですが、ITではない業界から入社されてきた場合、どう触ったらいいのかも難しいのではないかなと思います。

チャットボットの逆のような使い方は出来ないだろうかと思っていました。
こちら側にチャッピーに機能面の質問をしてもらい、それに回答していくのをカリキュラムに含めることでメールの研修はもちろんのこと電話ロープレの前の研修にもなるかなと思ったりしました。
「私に質問をして」というだけでもいくつか質問をしてくれたので、の機能面やお客さんの過去の問い合わせなどを学習させてうまいこと出来ないものか・・・。環境を用意してあげられたらいいな~

AIによる新人研修研修が単純作業ならできるけど…難しいな

17才さんの記事紹介はAIの内容が多いなという感覚がある。
意識的にAIに関する情報を追おうとしている姿勢が見えてきておもしろいと思いました。
新人教育にAIを活用することについては、使えるものがあれば使っていけば良いかと。
AIを教育していくことが第一ステップになるんじゃないかなと。

クラーク博士が初めて学位を与えたというのは知らなかった

最近はこの生成AI の記事をピックしてくれる朝会リーダーが多いですね。特に17才さんよく取り上げてくれますね、ありがとう。

クラーク博士居住地後。彼らは日本に滞在したのはわずか8ヶ月なので、ここにいたのもほんのわずかなんでしょうね。英訳にはこう記されています英文ではこう記されています。
Dr. Clark mounts his horse in front of the headquarters and bids farewell before returning home.
(Third person on horseback from the right)
この馬上で走った言葉が
Boys, be ambitious like this old man.
 (青年たちよ、大志を抱け。この老人の如く)
とかとか。ホントかなーなんて節は山ほどありますね。
だけど、彼のその後の生涯みてたらあるような気がします。
通りはこんな感じで人通りも交通量も多いので、 朝会にあまり集中すると危険です。
パネルの右側には、このように書かれていました。
明治9年(1876)7月31日、W・S・クラーク博士(1826~1886)が札幌農学校初代教頭として米国から札幌の地に赴任した。
宿舎はここ南2条東1丁目にあった開拓使本陣と呼ばれる建物である。
宿舎の役目を持つ本陣は明治5年に竣工し、建築面積800余の木造平屋建ての当時としては最大の建物であった。
8年からは主にお雇い外国人用として使われ土木工学技師ホイラーなども居住していたが、12年に焼失した。
クラーク博士は終始この本陣に居住し、ここから農学校の開校式に臨み、また建設まもない札幌のさまざまな施設等を視察している。
明治10年4月16日、クラーク博士は本陣前で馬上の人となり札幌に別れを告げ帰国した。
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