縛られたがる人。
人は不公平を嫌います。
社会はその期待にこたえるために、公平で平等な社会を目指しその機能を高め複雑化してきました。
社会の縮図としての会社においても同様の現象が起こります。「不公平はダメ」なわけです。
ですから、会社はその期待にこたえるために、さまざまな規則を設けようとします。企業規模が大きくなればなるほど、それに応じて規則は複雑になっていきます。規模に応じて不規則なことが起こる確率が高くなるからです。
そのたびに新たな規則を設けたり、他社を参考に今後起こるであろう不規則なことを予測して新規則を設けます。
不思議なのは、若い方、真面目な方ほど規則を設けてほしいと切望するところです。規則がないというとどうも不安に感じられるようです。
でも、どうしてそれで不安なの?お前は自由を奪われて嬉しいの?もしかしてマゾヒストなの?と疑いたくなるほどです。
スピード化をはからなければいけない中小企業にとってこういった傾向はあまり好ましくないと思えます。規則がないことでものごとの進展が遅くなるのは中小企業にとっては致命的だからです。
そのためには頑張って社内法の整備をするのも一つの策でしょう。しかし、法は何のためにあるのでしょうか。
不公平をなくすためのはずです。不公平に扱われた社員がやる気を失ってしまったり、規則がないがために自分が行おうとしていることが果たして是なのかどうか不公平をもたらしてしまうのではないかの判断ができずに、作業が停滞するのを防ぐためです。
しかし、それらは実際に起きていないことに対する杞憂でしかないことに、現実を振り返ってみたら直ぐに気付くはずです。ほとんどの不規則な事例は各人が持つ倫理感によって、見事に処理されています。
また、会社の存在自体がそもそもが不公平なのです。給与の公平さを一体誰が担保しているのでしょうか。
いや、だから不公平であって良いと言っているのではないです。矛盾を孕んだ存在だから矛盾を放置して良いと言っているのではないのです。会社は不公平をなくすために、精一杯頑張ってそれぞれの努力や成果を精査し、それを待遇という形で反映させねばなりません。それは当然のことです。
ただ、起こっていないことに対する杞憂はあまりすべきではないということなんです。
規則がなければ、誰が判断するのかというと人が判断することになります。この法治でいくか、人治でいくかは、人類は長年にわたって苦しみ、悩み、今は大半の国は法治主義にのっとり国家を運営しています。
一人の人間に生殺与奪権を握られるのはまずいことだとは社会も会社も気付いています。一方で、規則を作れば作るほど、組織が硬直化していくことは経験を通じて分かっているはずです。
何事もバランスであり、ジャッジする側はそのジャッジのための根拠を明確に示せるように自己を高める努力をせねばなりませんし、ジャッジされる側はそのジャッジが果たして公正であるかどうかの判断をし、正しくないと思えばその根拠を示し、再ジャッジを求めねばなりません。そうして、お互いが切磋琢磨し合うのが正しい姿ではないかと思います。
理想だと思われるかも知れません。
ただ、私の周りだけかも知れませんが、若い方、特に男性の縛られたがり度が高いのは気になります。