今日、アサカイのステージが上がった!

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「学習図書費」「文化費」補助対象どっち?

今日のアサカイは素晴らしかった、感動しました。その感動は今日の記事ピック手前のところで、新人メンバーネオくんが「学習図書費」や「文化教養費」の使い方についてそのアサカイで質問してくれたことから始まりました。なんでも自分の住む地元にある英会話のカフェに行きたいんだけどその費用はこの2つある補助のうちどちらにあたるのかと言うものでした。

確かに英会話を習うという意味では学習図書費にあたるような感じです、しかしそこはコミニケーションを目的にしたカフェのようです。
詳しくは分かりませんがおそらく来店した客同士が自由に会話をするのでしょう、日本人や外国籍の方々が自由に会話するんだと思います。その中で使用する言語は英語オンリーと決まっているのでしょう、なので会話をすれば必然的に英語の学習にもなるのでしょうけども英語でのが主なような感じがします。
そこでネオくんも日本の文化を相手に伝えるかもしれませんし相手から自国の文化を伝えてもらうことになるかもしれません、そうするとこれは学習図書費と言うよりも文化教養費がふさわしいのかもしれません。

ことほどさようにこれはどちらがどちらと言うのは難しいですね。

どっちでもいいんじゃね?

実際あるあるメンバーの意見はそのままでした。
学習図書費という場合にはやはり通信制で何ヶ月かのコースに通ったりだとかリアルな英会話の学校に通ったりだとかそれが学習になるんではないか。それに対してネオが言っているのはコミュニケーションが主体のようなので文化教養費ではないかと。
別のメンバーはそのままだけどこれはその人自身が決めれば良いと、答えはないのだろうからネオ君が決めたら良いのではと言いました。
おそらくこの2つが答えなんです。この2つに全ての意見は集約されるだろうと思いました。

しかしそこでこれで終わりにしましょうかとアサカイのチャーリが言いかけたとき、入社3年近くになるメンバーが挙手しやおら話し始めました。

いつもと違う展開が始まった

どうも前提が気になります。これは学習図書費にせよ文化教養費にせよそれを使うことが前提になってしまってるように見えるんです。それははやはりまずくて、まずは自費でそこへ参加するなりしてみて実際自分で見てみてそれに当たるのかどうか補助に当たるのかどうか考えるべきなのでは。その上でどちらに当たるのかどうかを判断してから、みんなに聞いたら良いんじゃないでしょうか。費用はその時に領収書を出してもらっておいて補助対象となればあとで経費精算すればいいし。今のように使うと言うことを前提として話をするのはどうなんだろうかと私は思うんですよねと。

これには私は驚きとともに心のなかで快哉を叫びました。こんな意見はおそらく1年前のこの会社だったら出てないような気がします。私は少なくとも30年この会社にいますからわかります。
誤解しないで頂きたいのですが彼が正しいと言ってるわけではないです、お金を出したくないと思ってるわけでももちろんないです。むしろそんな面白そうなことには積極的に出したくらいです。
ただ彼がいうように前提をまずはちょっと疑おうよってことがメンバーの口から出てきたのが素晴らしいのです。普通は出ません、ネオくんは新人とはいえ仲間ですもん。やろうとしていることは面白いことだしそれを自らアサカイで聞いてくれてるわけですから、出したらええやん、どっちでも良いからだしたらええやん、良いじゃないとなるのは見えているのです。

俺にもしゃべらせてくれ

聞いていた私はどうしても話したくなった。

多様性の価値

ネオくん、君はまだ入社ほんとに数日なんだけどこの私たちの会社を見てどうですか?
外国籍の方割りと多いですよね、女性の割合も多くないですか他の会社に比べて、そして圧倒的に今こうやって会話してる人たちの住んでるところは私たちの会社の本社がある京都や東京支店の人は少なくて、それ以外の地域や地方の方が多いですよね。
つまり私たちの会社って国籍、性別、住んでる所とかぱっと見ただけでも多様性があると思います。これはなぜかと言うとその多様性を目指してきたからです、採用において多様性を目指してきたからですね。
ではなぜ目指してきたのか、それはそこに価値があるからですとんでもない価値があるからです。
どんな価値かっていうと、僕らを鍛えてくれる価値です、成長させてくれる価値です。

多様性があるということはそこで何もしなければ分断が生まれるだけです、背景となる文化が違うもの同士が集まるわけですから放っておけば理解し合えない者同士の分断が始まります、と同時に面白いことに同調も始まるんです、なぜなら人は分断を恐れるし同調はそれを防ぐ最も楽な方法だからです。

したがって多様性は表面的単一化を生んでしまいます。

そうなってはダメなんですね、私たちはそれをそれを乗り越えたところにある価値をつかみにいかねばなりません。

乗り越えるためには相手を理解することです、自分を理解してもらおうと努力することですよね。そしてその前提として最も大切な事は自分の意思や意見を持つということです、を貫くということです。自分がなくただ相手を理解するだけであればそこにあるのは単なる同調です。
自分らしさを見失ってはいけませんが、それは一生をかけて探し求めるもののような気もします。

次にせっかくの機会ですからついでに申し上げましょう、この補助費以外の費用と言うものの捉え方を別の角度から申し上げたいと思います。
ネオ君は知らないと思うけども入ったばっかりだからねこれは会社案内とかにも書いてないのでわからないと思いますが私たちはというのをやっています。

これを言葉自体は知ってると思います紹介採用でしょうか日本語にすると。実際実績もあります。そして紹介していただいた方にはそれなりのご苦労をかけることになりますからその後もね、だからわずかでも紹介してくれたメンバーにはお礼を差し上げています。

ではなぜリファラルを求めるのか、そうなんです先ほど言った多様性とここも関係してきます。

一見リファラルをやると多様性ではなく同質性が高まりそうですけども友達の友達を連れてくるのでね。

だけど、それはやり方次第だと思います。

私たちのこのはたらき方は私自身は極めて普通、当たり前のはたらき方だと思っていますが、世間的にはそうでもないようです。実際、が終わってからはほとんどの企業がをやめてリアルな出社に戻っていきました。これは何を意味しているかと言うとやはりコロナの頃のはたらき方は通常のそれではなかったということですね。コロナの頃にはこれがニューノーマルだとかもてはやされましたが、実際に終わってみるとニューノーマルは消えてしまって、社会はノーマルな以前の状態に戻っていってしまいました。すると僕らはノーマルじゃないのでしょうか?

私は決してそんなことはないと思います。私たちはこのはたらき方で業績を伸ばし働く仲間も増えています。これが意味するところはノーマル、非ノーマルではなく、別のはたらきってみればオルタナティブな何かだと私は思っています。でもいずれにしてもこれを求人メディアやこういったブログ記事などで伝えるのは非常に困難です。

それが分かるのはここで働いているメンバーですよね、メンバーこそが理解しているのですからメンバーからのリファラルはまちがいなく私たちのはたらき方をすすめてくれることになるのです。
そういう会社の風土を知っているのはやはりメンバーなんです、そのメンバーが紹介しているリファラルこれは多様性に1歩近づくしかも確実に1歩近づく手段だと私は思います。

ですから、君がその英会話のカフェに行く目的を自身の言語習得ではなく、英語でのコミュニケーションではなく、少しはあってもいいんですけど、それをリファラル採用するんだとそういう目的でそこへ行けば、そこには補助は出ませんが給料が出ます。仕事としてのことなので給料が出ますし出します。それは立派な仕事なんです。

もちろん今聞いただけではそれを目的としていくことはないだろうし誰もそれでは納得しないでしょう。だけど今後は少しそういう視点も持っていただきたいと思ってあえて出て参りました。

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